胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

金木犀


 連休、千葉に帰って母の引越しを手伝っていました。母が、実家の近くにできた建売団地の新築の家を買ってしまいました。築50年近くの古い家が嫌になって、衝動買いです。前に家を買うことを相談されたときに、「介護付き住宅、ケアホームでも考えたら」と言ったら、「そんな年寄りではない」と怒りました(80歳近いのですが)。
 本人に言わせれば、ずっと我慢していた。お金を残していても、子どもに使われるだけだし、最後に暖かな家できれいな家で過ごしたいとのことです。半分は私の名義にして、老後に私たち夫婦が住むのにもいいと考えています。私たちは、貸家住いです。持ち家は、山の家があります。母に言わせれば、「あんな山の中に年とったら住めないでしょう。まわりに住む人いるの。雪かきどうするの。病院へも行けないでしょう」。確かに言われるとおりです。今ですら、山の家の雪かきは私一人ではどうにもなりません。隣もこの世を去ったらいなくなります。熊と鹿とへっぴりと暮らすしかありません。山姥になってそれもいいかと思いましたが、いざとなれば千葉に住めばいいということです。冬は千葉で、夏は山の家。贅沢な様ですが、移動にお金がかかりますね。あんまりうちは年金もないので、一生働かないといけません。自営業ですからね。
 弟家族や親戚のおじさま達も集まりました。みんな大企業に働いていたり、現役で働いています。年金額が50万(2カ月分)近くなんてめまいがします。「めめのところは自営業だから、一生働けるんだから、年金なんていいだろう」と言うおじさまも。いえいえ、自営業のほとんどは貧乏です。うちなんか、よく食べていけている方です。おじさまたちは、家もあるし、高そうな車に乗り、ゴルフをします。地方都市でお金のない人とばかり付き合っているので、格差をうんと感じました。
 私のためを思って家を買った母の気持ちは大事にします。千葉の家の犬を散歩させながら、金木犀があちこちから香ります。これは盛岡にはない香りです。千葉に足りないのは、山かしら。
 それにしても、新しい家はすべてスイッチです。玄関もチャイムだけではなく、モニターや録画機能も付いていますし、お風呂も前の家に比べてスイッチ多く、母はすぐに覚えられません。ひとつひとつ教えていきます。私たちは、「コントロールパネル」「設定」「決定」という文字に慣れていて、説明書を読まなくてもいじっているうちに、やり方が分かりますが、母には無理ですね。私が帰った後、また混乱していないか心配です。山の家の山向こうの知り合いのKさんが立派な家を建てました。ご両親は農家の方です。家中のスイッチに紙を張って教えたのに、Kさんのお母様は覚えられずに、だんだんうつ状態になっていき、いっきに元気がなくなっていきました。それを思い出して、一瞬「これはまずいな」と緊張したのですが、母はパソコン教室に行ったこともあるので、なんとかなりそうです。あとは、新しい家に適応していってくれたらいいと思います。自分でも「家を新しくした途端に、死ぬ人が多いので気をつける」と言っています。お願いしますね。母が死んだら、固定資産税や火災保険料を私が払わないといけません。盛岡の家、山の家、千葉の家と家ばかり掃除してまわらないといけません。いやいや苦労ばかり考えるのはやめよう。住むところがあるだけでもありがたい。
 金木犀の香りのなかを歩きながら、息子たちが巣立った10年後は私たち夫婦はどこに住み何をしているのか、考えていました。