胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

マイヤ・プリセツカさん亡くなる


 2015年5月2日にバレリーナのマイヤ・プリセツカさんが亡くなった。89歳であった。

 マイヤ・プリセツカさんには思い出がある。中学1年の私は、テレビでマイヤ・プリセツカの「瀕死の白鳥」を観て感動してしまった。美しいと思った。中学のクラスでは、学級日誌のようなものがあって、持ち回りで何か書いていた。そこに私は、マイヤ・プリセツカさんが素晴らしかったことを書いた。内容は忘れたけれど、こんなものが世の中にあったのかと中1の女子は興奮していた。それで、書いたのだと思う。その他にも、日誌に読んだ本の感想や漫画のことを書いていた(『ベルサイユの薔薇』に夢中だった)。今思うと、このブログに書いているようなことだ。

 そして担任の先生に呼ばれた。先生の話の内容は、私が本や漫画に没頭していないで、友達を作りなさい、という内容だった。先生は心配したのだろう。クラスでひとりぼっちの私を。でも、その時はいじめられているわけでもなく、ただひとりだっただけで、不幸でもなかった。小学生の時に仲が良かった子は違うクラスに散らばったけれど、同じバレー部に入っていたので部活でみんなに会えた。
 それより、中学になって私の好奇心が花開いてしまったのだ。小学生の私は愚鈍な少女だった。太ってはいないけれど、のろまだった。みんなにのろまだと笑われた。でも、たいして気にしていなかった。勉強もできなかった。勉強しようとしなかった。心配した母が家庭教師を連れてきたような記憶があるが、たいして役に立たなかったようで、続かなかった。

 中学に入って、ラジオからビートルズの「Yesterday」が流れるのを聞いた。これはなんだと思い、その頃デパートで働いていた母にビートルズのレコードを買ってきてと頼んだ。母が買ってきたのは「Yesterday]の入った『Help』だった。それは衝撃的で、私の目を覚ましたのだろう。本や映画も漫画もたくさんまわりにあることに気が付いた。
 勉強もしはじめた。勉強が好きというのではないけれど、何かを知りたいと思ったのかもしれない。英語のテストで、とても良い点数をとったとき、男子から「おまえがかよ」と驚かれたことは今でも覚えている。国語の授業では、先生が「この授業できちんと考えて答えているのは、めめさんだけです」と言った。まったくうざったい女子だったかもしれない。現代なら、いじめにあっていたかも。

 マイヤ・プリセツカさんの死で、そんなことを思い出す。

 親になってわかる。大人は、元気が良く誰とも仲良くなる子が好きなんだ。友達の輪の中心になる子を望む。できる子を望む。それがますます強くなっていないだろうか。
 でも、ひとりぼっちは悪くない。今では、ひとりぼっちが好きなのに、元気な振りをして疲れてしまう子もいるんじゃないかしら。
 
 中学生の私と今の私は何も変わっていないとつくづく思う。