胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

年末年始に沢木耕太郎2冊読む

 

一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編> (講談社文庫)

一号線を北上せよ<ヴェトナム街道編> (講談社文庫)

 

 沢木耕太郎著『一号線はどこにある』は、ベトナムの旅のことが書かれているので読んでみた。「メコンの川」では、団体ツァーに入ってメコン川の旅をする。「キャパのパリ、あるいは長い一日」は、沢木幸太郎がパリを歩きながらキャパの影を追っている。「象が飛んだ」では、42歳のオールド・タイマージョージ・フォアマンがヘヴィー級タイトルにのぞむ姿が描かれている。新聞はフォアマンが対戦相手のホリフィールドとまともい戦えたら「象だって空を飛ぶ」と揶揄するように書いていたとか。しかし予想に反してフォアマンは見事に戦い、負けはしたが観客に感銘を与えた。沢木幸太郎の最後の1行「一九九一年四月十九日金曜日、一頭の象が飛んだ。」ここらへんはうまいなと思う。文章だけで、ボクシングが見てみたくなる。「鬼火」はポルトガルのサンタクレスへの旅を書いたもの。サンタクレスは檀一雄が暮らした町。そこにいくまで、あれこれ回り道をしている。なにを迷っているのか。『檀』を書きあげたあとの旅らしい。サンタクルスで5年前に身を投げたライターがいるという話を聞いた沢木はもしかしたらそれは自分かもと思うあたりは、スリルのある小説を読むようだった。「ヴェトナム縦断」は、ホーチミンからハノイまでバスで1号線を北上するエッセイ。これは純粋にバスの旅がしたくなる。旅のおともには林芙美子の『浮雲』がある。そこにはヴェトナムの思い出が書かれている。こういう旅がしてみたいな。「落下と逸脱」は、オーストリアのキッツビューエルで行われるアルペン競技の取材の記事。スキー・レースでも回転ではなく滑降。100キロ以上はスピードの出る死と隣り合わせな競技。その競技を著者は、スタート地点から取材する。中間の選手のすべりを見る場所ではなく、ゴールでもなく。スキーに関しては、息子が競技に出ていたのでイメージはできる。スケールは違うけれど、一瞬はばたいたようにスタートから躍り出る選手たちが目に浮かぶ。「記憶の樽」は、スペインのマラガで、著者が20年以上前に訪れた酒場を再訪する話。感動した場所を再び訪れると変わっているのはよくあること。しかし、仕事とはいえ世界中をまわれてうらやましい。

 

檀 (新潮文庫)

檀 (新潮文庫)

 

 先の本の「鬼火」で檀一雄のことを書いていた。夫に話したら、『檀』をもっていた。なんでももっている夫である。

さっそくお正月に『檀』を読む。読みやすいから1日で読めた。感想はというと、作家は自分をさらして生きていくのね、ということ。そして檀一雄が子どもっぽくかわいく描かれている。『家宅の人』は読む気にならないけどね。