『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』 と 『ハンナ・アーレント』
8月は戦争のことをかんがえる月。
自分の小さいころの夏休みを思い出すときに、テレビに映る広島や長崎。サイレンを思い出す。
けだるい夏の空気の中をサイレンが鳴り黙とうする。
あのころ、まだ戦争の悲惨さをつたえるおとなが身近にいた。
でも、わたしたちは息子にも次世代に伝えられる言葉がない。
『アイヒマン・ショー』を観る。あの裁判の記録は簡単なことではなかったと知るが、記録を切り取り編集していくのは大変な作業だと感心する。
記録映画の監督はイスラエルに疑問をもつ。ユダヤ人はイスラエルは約束の土地だとしても、そこに住んでいるアラブ人は? 現代にもつづく問題が横たわる。
『ハンナ・アーレント』は劇場公開の時に観た。
この映画の中でのアイヒマンの記録でアイヒマンがよくしゃべっている場面もある。
『アイヒマン・ショー』と違う感じで記録を使用している。
ハンナ・アーレントが「凡庸な悪」を見抜いたことは重要だったと思う。ヒットラーやアイヒマンが悪の根源ではないのだ。
現代でも政府が悪の根源でもない。それをつくりだした国民がいる。それに従う者、従っているという考えもなしに強いものにつく者、自分で考えることもなしに多くの人につく者。それが残虐なことも非人道的なことも平気で一般人が行えるようになるのは、ドイツだけでなく日本をみればよくわかること。
アイヒマンが言う「そういうふうにわたしたちは教育されてきた」と。いまでもわたしたちは学校からテレビから自分で考える力はうばわれて、命令を聞くいい子が育てられているのかもしれない。
これからおこる最悪な事態のあとで、わたしたちは「教育のせいだ」「みんながそうしていたから」「わたしだけではない」と言い訳するのだろうか。できたら、そういう人になりたくない。それで死ぬとしても。
ハンナ・アーレントがユダヤ人とイスラエルを盲目的に支持しないために孤立する。こわいくらいに客観的に考える人だった。
ハンナ・アーレントの著作はぶ厚くて難しそうで読んでいなかったけど、読んでみよう。