沢木耕太郎著『テロルの決算』
沢木耕太郎著『テロルの決算』(文集文庫)を読む。
1960年(昭和35年)10月12日、日比谷公会堂の演壇に立った社会党委員長・浅沼稲次郎が17歳の元大日本愛国党員、山口二矢(やまぐちおとや)に短刀で刺され絶命した事件。
なんとなく事件の写真も見たことがあるし、「やまぐちおとや」という名も知っている。大日本愛国党総裁赤尾敏の名もさんざん耳にした。
わたしは自分が残念でならない。
いい時代に生まれていた。
いわゆる高度成長時代。そしていろいろなことが起こっていた。テロはもちろん、戦争、政治家の不祥事、ベルリンの壁崩壊、とにかくあらゆるニュースにあふれた。そして、いまよりジャーナリストも少しだけ正義感はあったと思う。
ただ、右から左にニュースを聞くだけでなく、きちんと勉強するべきだった。
すべてが今につながっている。
浅沼稲次郎は、政治家にしては馬鹿がつくくらい庶民的で、良い人だったのだろう。
山口二矢に魅力は感じないけれど、右翼というものがどういうものか知りたくなった。ほとんど宗教。あまりにも狭い世界に身を置いているように感じる。彼らが崇拝しているのは天皇。でも、彼らは知性派の天皇一家とはずいぶん遠いところにいるように見える。天皇が彼らを愛するとは思えない。では、片思いなのか。そうでもないのかもしれない。
私たちが知っている天皇、皇室ではない、天皇には右翼をひきつける本当の姿があるのではないかと考えてみたりする。
右翼もいろいろで知性のある人もいるし、人情のある人もいる。でも、なんだかわたしのなかではヤクザと一緒になってしまう。ヤクザは天皇を拝んだりしないのかな。
本文で気になるところ(P38~P39)
「当時、街頭で見かける右翼の中で、愛国党は最も派手な存在だった。
昭和32年、岸内閣の成立を契機に、戦後右翼の活動がそれ以前には見られなかったほどの活発さを示すようになった。」
現在につづいていることがいっぱいあるのではと思う。
わたしたちが勉強しないと、1本の葦はすぐに踏みつぶされる。