胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『ソーシャルワーカー -「身近」を革命する人たち』

 

 

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ソーシャルワーカー 「身近」を革命する人たち』 2019年9月10日

 著者:井手英策/柏木一惠/加藤忠相/中島康晴

 

著者たちの熱いおもいは伝わった。

資格などなにももたずソーシャルワークを実践している株式会社の加藤忠相さんがいきいきとして説得力がある。

日本社会福祉士会副会長の中島康晴さんと日本精神保健福祉士会会長の柏木一惠さんの思いも伝わってくる。社会福祉士精神保健福祉士ををソーシャルワーカーとして統合し、もっと深く幅広い活動を推進したい。ソーシャルワーカーの肝は「ソーシャルアクション」なのだ。

まったくだ。そう思う。

でも、お二方もわかっているように現実はちがう。

そもそも新自由主義だとか、経済政治をきちんと勉強していない。大学で憲法や経済も教養として勉強しますよね。でもテストのため。学生は議論も本を読むこともない。

仕事についても制度の勉強はやっても、本は読まない。国からの通達には気をつける。

 

 

「日本のソーシャルワークには、法や制度への行き過ぎた順応がしばしば見られる」(P83)

「政府や行政の福祉の肩代わりや下請けをすることではない」(P97)

「資格ができてソーシャルワーカーがいなくなった」「法定化された仕事、組織から与えられた業務に疑問を抱くこともなく有能にこなすことで事足りとするのは、精神保健福祉士であってもソーシャルワーカーとしての専門性はない」ときびしい批判を受ける。(P129~130)

 

本の中に書かれていることは、「そうだそうだ。そうなんだ」と頷くのだけど、では変われるのかと思うと、「無理だな」と思う。

 

わたしもたまたま暇な時間を埋めるために45歳で2度目の大学で福祉を勉強し卒業時に資格を取って働いてしまった。50歳まえにしてはじめてのタイムカードのある組織。大きな病院だったけれど、ドクターもナースもいい方たちだった。PSW若い女性でいい子たちだった。

でも、良い人が凡庸な悪になることもある。

はじめは、やる気があって社会福祉士会と精神保健福祉士会に入った。認定社会福祉士なんてのもあって、お金払って研修受けてステップアップしていくシステム。最初の研修を受けた。しかし、幻滅した。なんだこの講師は! 古臭い考え方、うさんくさい、こいつらが福祉をだめにしている、と思った。ほとんど怒りにかられた。4年ぐらいは会に入っていたけど、研修出るより本を読んだほうがいい。研修出て人脈つくって認定取って、組織のトップ、福祉士会の事務局や理事になる。いやだいやだと思って会を抜けた。福祉士会に入っていない人も多いのは、会に魅力がないためだと思う。

 柏木一惠さんの講義を受けたらやる気に満ちてきたかもしれないが、地方では講師になるソーシャルワーカーの良い人材もいない。1人だけ話が面白い講師がいた。アメリカで勉強し、銀行に勤めてから、実家に帰ってきて自分で事業を立ち上げた人だった。

 

 病院のワーカーは、ステータスがあるようなのだ。いい職業みたい。有能にふるまい。余計なことはしない人がほとんど。でも、彼らにできることはいっぱいある。退院支援がある。まだまだ日本の精神科には長期入院の方が多い。こつこつと退院させ、みなさんに自分の人生を歩んでほしい。でも、社会資源が少ないと嘆く。

 ケアマネージャーさんのほうがソーシャルワーク的仕事をしていることが多いようにみえる。

 

 根本を変えないと、いつまでも精神障害者の地域移行も掛け声で終わるのではないかしら。

 でも、各福祉士会が困っている人のために制度改革を要求するという話は聞いたことがない。声明だすくらい。ロビー活動とかデモにでるとか、何かしているのだろうか。

 わたしも何もしていない。

 わたしはそろそろ辞めることにする。

 次やりたいことは福祉とは関係ないけれど、わたしなりのソーシャルアクションだなと思っている。