佐野眞一著『僕の島は戦場だった』
図書館に本を返しに行く。
借りたいものを探しカウンターへ本をもっていくときに、返却棚をみてみる。
誰かが借りて返したばかりの本。
けっこう興味惹かれるものが置いてある。この本も返却棚にあった1冊。
第1章「援護法」という欺瞞、で知ったことは、沖縄の戦闘で日本軍に隠れていた壕を明け渡したり、集団自決した人、有名な対馬丸沈没で亡くなった人たちが靖国神社に御霊となり祀られているということ。彼らは「戦闘参加者」であって、国の犠牲者ではないということなのか。
(P37) 六歳児未満の幼児まで「戦闘参加者」として靖国に祀られるようになったという。
「厚生省の頭のいい役人は『援護法』を沖縄に適用するにあたって、要するに、軍が民間人に『水を汲んでこい』という要請をしたら、もう国との雇用関係が成立するという解釈をしたのです。壕を明け渡せという要請をしたときは、壕を提供してくれたという解釈をした。こうやって、沖縄の人たちは知らないうちに、「準軍属」扱いされていった。逆に言えば、「援護法」が旧日本軍や日本国家の戦争責任を免責する仕組みに利用されていったんです」
国との雇用関係があったということでお金がもらえる。忸怩たる思いがあっても黙らないといけない。お金で戦争被害者をだまらされる。
第五章「集団自決」の真実、は読んでいてもすさまじい。
『渡嘉敷村史』は、この『ニューヨークタイムズ』の記事を引用したあと、次のように続けている。
〈一般に「集団自決」と言われるが、実態は親が子を殺し、子が年老いた親を殺し、兄が弟妹を殺し、夫が妻を殺すといった親族殺しあいの集団虐殺の場面であった。誰が命令したかということも重要なことであるが、いくら狂気の時代とはいえ、「なぜ、肉親同士の殺し合いができたのか」という、自らへの問いかけが必要であろう。乳幼児が自決をすることはできないはずである。「生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケズ死シテ罪禍ノ汚名ヲ残スコトナカレ」という『戦陣訓』できたえられた皇軍の「玉砕」と、老幼婦女子の「虐殺」とを同列に考えることはできないであろう。〉
沖縄の戦争については知らなすぎる。広島長崎は小さいころから教えられ、町にサイレンが鳴り黙とうしていた、沖縄の慰霊の日があると知ったのは、ここ最近のこと。
本を読みながら地図をみるけれど、沖縄の地形や距離がつかめない。島も多いので、わからないところが多い。沖縄にも行ってみたい。勉強してからと思ったけれど、いちど行ってみたほうが、頭に入るかもしれない。
修学旅行で沖縄や広島にいく学校があるが、いいな。かならず行くように義務付けられればいい。きちんと予習して。わたしのすむ県は、中学ではネズミの国と野球、高校では京都とユニバーサルスタジオとかいうところ。そんなところは自分で稼いでからお金落とせばいいと思うのだが。
第5章の中で、朝鮮から連れてこられた慰安婦の10代の女の子たちがいたことを語る人がいた。
集団自決も慰安婦も戦争犠牲もすべてなかったことにはできないのだけど、いまの学校教育はどうなっていくのか心配。