安田純平 他『自己検証・危険地報道』
『自己・危険地報道』(集英社)
安田純平、危険地報道を考えるジャーナリストの会 2019年8月9日
この方もバッシングされてましたね。
でも、知りたいのはシリアの内戦がどうしてはじまって、どうなって、どう収束するのか。でもダマスカスやアレッポなどの美しい町並みはもどらない。日本より古い古い歴史のある土地。
たぶん、日本の外務省ってカッコつけているだけで、情報戦には弱いのではないだろうか。スマートでクールでもない。つまり、お子様ということで、相手にもされない。お金でモノ言わせるしかないけど、経済力も弱っているしね。
最近のできごとでも、今月23日国連で開かれた気候行動サミットに出席して、気候変動の危機を訴えたスウェーデンのグレタ・トゥーンベリさんに対するバッシングがひどかった。些細なことばかり。「アスペルガーだ」「大人に操られている」「ヒステリー」「学校へ行け」などのヘイトにあふれる。彼女がスピーチで語った後半の気候変動については誰も語らない。専門家は彼女はよく勉強していて、彼女の話したことは間違いではない、科学的根拠のあるものだとラジオで言っていた。
なぜ、だいの大人が感情的になるのか。
安田さんのときも「韓国人だ」とか「ジャーナリストとして未熟だ」とかさまざまあるけれど、仕事の中身のシリアには言及なし。
中東は日本から遠い話でもない。
日本がアメリカを支持している限り関係なくないし、経済的にも関係あることをみんなで考えたいのだけど、へんなバッシングばかり。
日本人はどうしてしまったのかしら。
もしかしたら、うらやましいのではないのかな。自分のやりたいことをやって注目を浴びる人がうらやましい。
みんな、人のことをバッシングするより、自分のやりたいことを探そう。いくつになっても夢中になるものをみつけたい。あっそうか、夢中になれることがネットで悪口書くことになっている人が大勢いるのかしら。悲しいかもしれない。
あといちばん気をつけたいのは印象操作。
テロリストを一掃するとの掛け声で、民間人が乳児から年寄りまで虐殺される。
「テロリスト」と名付ければ何をしてもいいという印象をあたえている。
安田さんが言うように、反政府や全体主義に抵抗するものは、以前はレジスタンスと呼ばれていた。それをテロリストと呼ぶことによって、悪にする。政府の印象操作だけど、それにのってしまう国民は多い。
ラジオニュースでは、香港の学生デモは「暴徒」という。でも、かれらはレジスタンスではないのか。自由と公平な政治を求める。でも、かれらもそのうちテロリストと呼ばれるかもしれない。そのためには警察が自作自演する世の中だ。なんだかみんなアメリカの真似をするんだな。
わたしが憂いても仕方ないのだけど、歴史は繰り返すのなら行くところまで行って、戻ってくるのだろうか。もどれる力がわたしたちにあるのだろうか。