胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』 クリストファー・R・ブラウニング著

 

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

増補 普通の人びと: ホロコーストと第101警察予備大隊 (ちくま学芸文庫 (フ-42-1))

 

 『普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』 (ちくま文芸文庫)

 クリストファー・R・ブラウニング著  2019年5月10日

 

 全部は読めないうちに図書館に本を返します。いずれゆっくり読んでみます。

 最初のP34で次のような文書がありました。

1942年から1943年まで第101警察予備大隊が駐屯していたルブリン管区において、親衛隊=警察指揮官に任命されたのはヒムラーの旧友オディロ・グロボニクであった。彼は残忍なやくざ者で、かつてオーストリア汚職によって党幹部の地位を追われたものだった。

  最前線には普通の人びとが送り込まれ、普通の人びとだったはずの人が虐殺に手を貸していったけど、上にいた人はろくでもない仲間の仲間であったりして、類は類をよぶようなサイコパス人間の集まりだったりする。まともな人間は寄り付かない。現代のどこかの国みたいだな。

 普通の人が虐殺を喜々と、または義務的に行う。その理由はなぜか。その中核には差別意識がある。ユダヤ人は抹殺していい、韓国人は死ね、ベトコンは見つけたら殺せ、日本人は野蛮だから原発を落としていい。アメリカだって、ナチスでもさすがに白人には原発を落とせないのではないか。戦場で人を殺すのが平気になっていく根底には、アジア人だから、日本人だからという差別意識がある。そして差別されるものは、優越感を守るために差別できる人を作る。どこかの国みたいに。