胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ著

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ著 (新潮社)

 

 売れている本です。本屋では平台に山積みに本が置かれていました。買おうかなと思いつつほかに買いたい本があって買わないでいました。これだけ本が世に出回っていたのならいつか手に入るし、図書館で読めるだろうと。でも、いつもいく大きな図書館にまだ入らない。

 土曜日にめずらしく田舎町の蕎麦屋で友人とランチをすることになった。午前中に茶道の稽古があって、終わっても少し時間があるから、ランチまで田舎町のしょぼい図書館へ行くことにした。ここはあまり本がないとわたしは思っていて、ほとんど利用していない。図書館に入ってまず新刊コーナーを見たら、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』があるじゃない。パッと手に取り文字通り小躍りしました。

 

 本の内容はあちこちで書かれているからわたしが言うまでもないのだけど、世界中で分断やヘイトがあって、それをどうやって乗り越えていくかが書かれていると思う。ブレイディみかこさんの息子さんのような若い人たちが希望である。日本の若者だって・・・と言いたいがどうなのだろう。

 イギリスの学校教育は学校それぞれで違うのだろうけど、たしかどこの学校でも子どもの権利はきちんと教えられていると聞く。「児童の権利に関する条約」というものがある。日本では教えられているのだろうか。「世界人権宣言」はどうだろうか。道徳などで取り上げられているのだろうか。わからない。

「シティズンシップ教育」というものが義務付けられている書かれている。日本にはないものだ。著者の息子がクラスで出された課題が「エンパシーとは何か」。日本だと隣の人と仲良くしなさいという「仲よく」で終わっていないだろうか。では、なぜ隣の国と仲良くしていないんだよと思うけれど、仲よくは同胞の中でのことだったりする。

 自分の頭で考えさせるという教育がまるで違っているのだ。

 日本では、数々の権利条約は飾り物に過ぎないのかもしれない。批准はするけれど、教育も現場も別のものさしで動いている。きちんと教えてもいない。

 前々から思っていたけれどインクルーシブ教育といいながら、少しでも障害があると支援学校をすすめられる。バスで学校に通い地域の人と接することがない。地域地域と言いながら、障害を持つ人を地域から切り離し教育し、大人になったら地域に戻って働くのは作業所なのか。

 話がそれていった。いまのままでは日本はまた世界ののけもの田舎者にもどるだけだと思っていたけど、この本が売れていて読む人がいっぱいいるということは、私たちの世界もおかしい、どうにかしなくちゃと思っている人も多いってことかもしれない。

 でも、それにも分断があって。

 ある程度、教育水準の高い家や本を買う家はこの本を子どもに読ませるだろうけど、本なんか家にないし、読まないという親子もいるのだ。

 そしてこの地域も外国の人に対して差別的発言をするのを聞いたことがある。いったい何様なんだと言いたくなったが、聞いていた。本の中に出てくるビデオ屋さんの店員や居酒屋で突っかかってくるサラリーマンのような人は多いことが事実で、そちらのほうが力が強いというか、無知だから何をしても恥ずかしくないから強い。

 ブレイディみかこさんのむすこさんがどう育っていくか楽しみだね。