胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

長谷川和夫『ボクはやっとことがわかった』

 

 『ボクはやっと認知症のことがわかった』 

  長谷川和夫医師 / 猪熊律子(読売新聞編集委員) 2019年 (KADOKAWA)

 

 長谷川スケールは仕事でお世話になっている。それで、これは読んでおかなくてはと思い買う。内容は認知症の基本的な話や歴史、スケールの開発秘話などすでに分かっていることが多かった。でも、長谷川先生が自分が認知症と公表し、率先してデイサービスへ行き支援を受けながらも、認知症についての啓もう活動をしている姿は、認知症理解の大きな力になることだと思う。

 

 

(本書より P66~67)

まず何よりもいいたいのは、これは自分の経験からもはっきりしていますが、「連続している」ということです。人間は、生まれたときからずっと連続して生きているわけですから、認知症になったからといって突然、人が変わるわけではありません。昨日まで生きてきた続きの自分がそこにいます。

 それから、認知症は「固定されたものではない」ということです。普通のときとの連続性があります。ボクの場合、朝起きたときが、いちばん調子がよい。それがだいたい、午後1時ごろまでつづきます。午後1時過ぎると、自分がどこにいるのか、何をしているのか、だんだん疲れてきて、負荷がかかってくるわけです。それで、とんでもないことが起こったりします。

 夕方から夜にかけては疲れているけれども、夜は食べることやお風呂に入ること、眠ることなど、決まっていることが多いから、何とかこなせます。そして眠って、翌日の朝になると、元どおり、頭がすっきりしている。

 そういうことが、自分が認知症になって初めて身をもってわかってきました。認知症は固定したものではない。変動するのです。調子のよいときもあるし、そうでないときもある。調子のよいときは、いろいろな話も、相談ごとなどもできます。

 

 これを読んで、認知症だった亡き義父を思い出した。認知症でもしっかりしているときもあれば、わからなくなるときもある。わたしや夫が訪ねるのは午前中だった。お昼を一緒に食べて帰ってくる。義父はわたしたちと普通に会話する。それを見て義母は「この人は、認知症のふりをしてわたしに嫌がらせをしている」と怒る。認知症の方はたまに来る人には認知症に見えない時がある。調子がいい時なのだろう。お客が来て、脳が活性化するのかもしれない。妻との二人暮らしにもどるとぼんやりしてしまう。

 義父はわりと偉いと思われる地位にいたので、デイサービスへ行くのは嫌がった。でも、義母を休ませるために説得してデイサービスへ行かせた。デイサービスの義父の誕生月のお祝いの写真をデイサービスの人が義母にもってきてくれた。そこには、素敵な女性利用者さんに囲まれ満面の笑みの義父が写っていた。「こんな笑っているところなんか見たことない」と義母は怒った。そしてデイサービスへ行くことに嫌味を言い、焼きもちを焼くようになった。難しいものだ。

 そういえば、義母が義父に「今日は何日なの?」「何曜日なの?」と何回も聞いていた。義父が答えられないと、「朝から何度も教えているのに、覚えやしない」と怒るというか、責める。これでは、義父の笑顔がないのも仕方なかった。

 この本を読んで思った。日にちや曜日なんて覚えなくてもいいじゃないか。毎日が日曜日でいいのだ。病院へ行く日など大事な日は、家族が教えたり、ケアマネさんが電話してあげたりの工夫をすればいいと。

 

 長谷川先生はすばらしい。それなりの地位と仕事をしてきた人なので、認知症になってもやることがあって、ご自分でもそれが認知症の進行をおさえているのかもしれないと言っている。頼りになる妻と世話してくれる子どもたち。友人知人も多い。もちろんお金も情報もある。

 

 しかし、実際はそうはいかない場合が多い。独居でお金がない。年金は国民年金の満額もない。子どもは都会にいて疎遠である。家はゴミ屋敷になっていたり、アルコール依存症だったりすることもある。人に頼ることになれていない。介護サービスを受けたくても自己負担分のお金を出せない。生活保護にしたところで、家族の支援がないというのはいろいろなことでけっこう辛い。長谷川先生のように知識も情報もないので、認知症を否定し「大丈夫」だといい、支援を拒否する方もいる。なかなか現実は厳しい。

 

 自分が認知症になったら、さっさと認めて工夫して生活しよう。

 今でも物忘れは多くなった。眼鏡でも時計でも財布でも所定の場所に意識しておかないといけない。昨日は買ったばかりのスマートウォッチがいつも置く場所になかった。落としたのだろうか、落ちるはずはないと探したがない。諦めていて、午後、車に乗ろうとキーを取ろうとしたら、車のキーと一緒にスマートウォッチがあった。前の日に遅く帰ってきて、キーを置いたときにスマートウォッチも無意識にはずして置いてしまったのだろう。

 手帳に細かいこともメモする。「誰だれにハガキ出す」「メールの返事」とかね。あとでやろうと思っても、すっかり忘れてしまう。意識して気をつけて工夫しないと、ダメな年ごろになったのだ。