胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』   植木雅俊著 (中公新書)

『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』

 植木雅俊著 (中公新書)を読んでみる。はじめの方から抜粋してみる。

 

P12

 そこで筆者は、バッタチャリャ博士に「タゴールは、仏教のどういうところに現代的な意義を見出していたか」という質問をした。

 すると、博士は次の三つの特徴を挙げられた。

 第一に、仏教は徹底した平等を説いた。

 第二に、仏教は迷信やドグマや占いなどを徹底して排除した。

 第三に、仏教は西洋的な倫理観を説かなかった。

※バッタチャリャ博士:タゴール大学学長(当時)

 

P18

 人に差別があるかのように世間で言われているのは、人間が勝手に言葉で規定しただけであると、釈尊は『スッタニパータ』で次のように言っている。

「身体を有する[異なる生き]ものの間ではそれぞれ区別があるが、人間[同士]の間ではこれ(区別)は存在しない。名称(言葉)によって、人間の間で差別が[存在すると]説かれるのみである(118頁)」

 私たちは、言葉によって逆規定されて、存在しないものも存在するかのように思い込みがちであるが、釈尊は人間による差別が言葉による逆規定によるものであって、人間は本来、差別はないと断言してる。

 

P22

 釈尊の目指したことを、釈尊の存命中に弟子になった女性たちの詩集『テーリー・ガーター』に描かれた女性たちは、釈尊の教えのままに実践し、自ら具現し、その生き生きとした姿を示している。それは、女性たちが口々に「ブッダの教えをなしとげました」と述べている通りである。歴史上の人物としての釈尊は、文字通り「法の下の平等」を説いていたのであり、「女性は汚れたものである」とか、「劣ったものである」とかいうような女性蔑視の考えを持っていなかった。

 

 

 自分は宗教をもたない。でも、この時代を生きていくのは苦しい。なにか宗教にすがりたくなる気持ちはわかる。心のよりどころがあるというのは羨ましい。

 本来の仏教は、中国風に日本風に変えられてきた。仏教はお葬式や法事で身近だけど、わたしは何もわかってはいない。ブッタは神様ではなく悩みぬいた人間というところがいいし、戦争を起こさないブッダの教えは心の支えになりそうである。

 

 

 

ブッダのことば: スッタニパータ (岩波文庫)
 

 

 

尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)

尼僧の告白―テーリーガーター (岩波文庫 青 327-2)

  • 発売日: 1982/04/16
  • メディア: 文庫