映画『判決、「ふたつの希望』
監督:ジアド・ドゥエイリ
ベイルートという首都名もよくニュースに流れる。
シリアの難民の本を読めば、お隣のレバノンの名が出てくる。
でも、レバノンがどんな国かはわからないが、囲まれたまわりの国を見れば、穏やかではいられない国だとわかる。
自動車修理工場を経営するトニーはパレスチナ難民排除を訴えるキリスト教系のレバノン人。違法建築を修繕している会社の監督をしているヤーセルはパレスチナ難民。このふたりの言葉の争いが、裁判になり、民族の争いに発展し大統領まで出てくる。裁判を争う弁護士ふたりは、考え方の違う父と娘。裁判の過程で問題があぶりだされ、ふだんは隠されていた感情が爆発する。裁判の過程で、トニーがある虐殺が起こった村の生き残りだとわかる。トニーの弁護士が「みんなが傷をおっている」と言う。
主役の二人は最初から自分にも非があると思っている。欲しいのは謝罪の言葉。有罪ではない。でも、謝れない。裁判の過程で二人の男が相手を認めていく。トニーも思い出したくなかった虐殺の村での懐かしい少年時代を思い出せるようになる。最後の判決の後、二人が交わす視線が希望にかわる。この理解が世界を変えていけるのではないかという希望。
カルロス・ゴーンのような金持ちが優雅な生活をする一方、庶民の苦しさは難民のせいだ、誰かのせいだとすり替えられていくのは、どこの国も同じ手口であるな。