胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

アマルティア・セン著『アイデンティティと暴力 運命は幻想である』

 

アイデンティティと暴力: 運命は幻想である
 

 

アイデンティティと暴力 運命は幻想である』

 アマルティア・セン著  2011年 (勁草書房)

 

P7~8「まえがき」より

党派間であおられた憎悪が野火のように広がりうることは、近年、コソヴォボスニアルワンダスーダンイスラエルパレスチナスーダンなど、世界のあちこちで見てきたとおりだ。ひとつの集団でつくりあげられた同一性(アイデンティティ)の共有式は、言葉巧みに扇動されれば、別の集団を攻撃する強力な武器にもなりうる。

 実際、世界における多くの紛争や残虐行為は、選択の余地のない唯一のアイデンティティという幻想を通じて継続されている。憎悪をかきたてる「技」は、その他の帰属意識に勝る卓越したアイデンティティと考えられているものの魔力を利用するものとなる。このような手段は都合のいいことに好戦的な形態をとるので、われわれが普段もっている人間的な同情心や本来の親切心も凌駕することができる。その結果は、泥臭い粗野な暴力沙汰にもなれば、世界的に策略がめぐらされる暴力事件やテロリズムにもなる。

 

 

エリクソンが唱えたアイデンティティは個人の核であったが、いつの間にか国家に置き換えられて、国民なら同じアイデンティティをもち、違う民族を憎むように仕向けられる。それは自発的なものではなく扇動されたものだったりする。

善意もある人々が同じ人間に対してひどいことをする、ときには殺す、その仕組みをしるために読んだ本。

P17 暴力は、テロの達人たちが掲げる好戦的な単一基準のアイデンティティを、だまされやすい人びとに押しつけることによって助長する。

騙されやすい人をつくるような教育をすること。本当の歴史や世界から見た大きな歴史の流れは教えない。視野狭窄になるような教育をしていけば、騙されやすい人々は作られる。教育右は大事だ。疑う心を作ってはいけない。 軍国主義の日本はそうだっただろう。今の教育はどうなのだろう。わたしは2つ大学へ行って、まず言われたことは「批判的な眼をもつことだ」と。文科系の大学なんて、役に立たない知識と批判精神ばかり育つから国には邪魔にされがちなのかもしれないね。

P251930年代の残虐行為が、ユダヤ人以外のアイデンティティを思い起こす自由と能力を、ユダヤ人から永久に奪い取ったのだとすれば、長期的にはナチズムが勝利したことになるだろう。」

 この言葉にはショックだ。世界はナチズムに勝利などしていなかった。人に憎悪の火種を十分に残して人間の悪い面を引き出していく自国主義がはびこっている。

 

来年は、もういちど大学へ行って哲学と歴史を学び直したいと思っている。女性の平均寿命まであと20年。自分が学んでも世界は変わらないけれど、なぜナチズムを乗り越えられないのか考えていきたい。