映画『ホテル・ムンバイ』
映画「ホテル・ムンバイ」 2019年
最近、映画館へ行っていない。Amazonプライムでも見ていない。勉強しなくちゃいけないことがあり、書かなくちゃいけないことがあって時間をとられた。
一段落したので、映画をみようと「ホテル・ムンバイ」をみました。ひと段落してホッとするためにみる映画ではないですね。ドキドキ胸を摑まれ、見ていられなくなります。
「ムンバイ」は、前は「ボンベイ」といいました。1995年に英語読みの「ボンベイ」から「ムンバイ」に変わったそうです。
そのボンベイの時代、わたしが20代前半の頃に、ボンベイへ行ったことがあります。ケニアからの帰りの飛行機の乗り換えで丸1日あったので、ボンベイ市内を観光したのです。
ケニアはサファリの取材です。ツァーに入ってサファリ―ツァーに同行し、ナイロビでは路上でケニア人とご飯を食べたりしました。あちこちで物乞いや「ボールペンと品物を交換して」という人たちに会いましたが、太陽の光のせいか悲惨な感じはせず、活気があって、わいわい騒いで通訳の人や運転手とお別れしてきました。
ボンベイに降り立ち、ランチにホテルへ行く間、子どもを含めた物乞いの人たちが群れていました。さっきまでのケニアでの様子とは違う、気持ちが暗くなる風景でした。案内の人から、恵んではいけないといわれました。
ホテルに着きました。何というホテルか覚えていません。「ダージマハル・ホテル」だったのかしら。その格下のホテルだったのかもしれませんが、豪華なホテルでびっくりしていました。ホテルの中は素敵なサリーを来た女優さんのような女性が歩いています。まわりが超金持ちだということがわかります。ケニアからの帰りでサファリ用のラフな服しかありません。なんか薄汚いアジア人グループですが、個室に通されて美味しいランチをいただきました。
空港から来た外の風景と映画のようなホテルの中。そのギャップにわたしたちは打ちのめされていました。どう考えていいのか。ケニアの空気と違う、インドの空気。顔もインド人は哲学的に見えてしまいます。ケニア人は九州の田舎のおじさんたちみたいだった。
ボンベイ名所のインド門を見て、ガンジー記念館を見学し、シルクのスカーフ等のお土産を買って飛行場にもどりました。
あれから、インドに行きたいと思いつつ行けなかった。ムンバイは都市化しているだろうな。
この映画は事実を基にしています。2008年11月に起こった同時多発テロです。わたしもテレビで見ていました。あのボンベイがと思いながら。
テロをおこした青年たちは死にました。神の栄光のために。でも、彼らを扇動した指導者は捕まっていません。「偉い人はすぐ逃げる」。どんな戦いでも、名もない人が命をかけて、その命をかけることを立派だ、美しいと持ち上げる偉い人。だったら、おまえが銃を持てといいたいが、偉い人は安全な所で命令するだけです。いつの時代もどの国でもどの宗教でも。
この映画は、お客様を守ろうと戦ったホテルマン達を讃える映画です。