胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

秋になりました。

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気分を変えるために、ブログのデザインを変えてみました。

このブログも2008年からはじめている。その前にも別のところでブログを書いていたので長い。といっても、最近は映画や本の備忘録となっている。相変わらず映画はよく見ていますし、本も読んでいますが、日記に記録しておくだけでブログまで書く気持ちになりませんでした。

2008年。今は2021年。遠くに来たものだ。

息子たちは県外に住み。長男は昨年結婚したが、コロナ禍で相手の方と会っていない。来週やっとふたりで遊びに来てくれる。そのうえ家を建てるのだそうだ。いい土地が見つかったので、家賃払うならローンを払うとのこと。仕事もしっかりしたものだから、ローンの審査も通ったらしい。

次男は大学を卒業して、1年半勤めた会社を辞め、いまは東京の赤坂で働いている。こんどは続くだろうか。転職しても親は何も言えない(転職ばかりしている母なので、人に説教する立場にない)。だいたいわたしが組織がダメだし、1年もいると仕事のルーティンワークに飽きる。次男はわたしよりずっと頭がいい、転職してもそれなりにやっていくだろうけど、東京での暮らしは大変かと心配する。

夫は去年、脳梗塞で倒れたが、後遺症も微々たるもので元気だ。雑誌の連載もあり、だんだん仕事が増えてくる。ライターとしての腕は買われているので、仕事が舞い込んでくるのはうらやましい限りだと言うと、「おれはこれで40年食っている」と言うので、続けるということはすごいことなのだ。

 

わたしは、続けているのは俳句くらいかしら。あとは映画と読書。

50歳で精神保健福祉士社会福祉士の資格をとって10年仕事をしてきた。還暦になった。それなりに仕事はできて重宝されたかもしれない。正義感もあり、やりすぎることがあり疲れた。でも、福祉業界はあまり話せる人がいない。浮いているみたいだ。あれこれあって、福祉業界から足を洗って、わたしもライターの生活にもどろうと考えるが、ブランクがある。どうするか考えるにしてもお金が必要なので、町の家の近くでパートをすることになった。

それが演劇のスタジオ。わたしの同僚は29歳の脚本、演出家。

そういえば、高校を卒業して横浜の郵便局に勤めたけど、大学へ行きたくて3ヵ月で辞めて最初にバイトをしたのが、某劇団の事務だった。60歳になってひとまわり。同じ場所に戻ってきたような気がする。

そしてこの岩手に来て、話が合う人なんていないと思っていた。夫以外の友だちなんてできないと思っていた。なのに、29歳の青年と話が合う。彼は昭和の映画や演劇、お笑いが好きで詳しい。教えてもらうことも多い。わたしは彼を応援することにした。

そんなこんなで秋も深まってきました。

写真は、3年ぐらい前に撮った山の家の庭です。鹿がいます。

山の家へもたまにいくぐらいです。

わたしのライター生活が軌道に乗れば、山の家の生活もできるでしょうが、パート生活が続く間は町の生活です。

町にいると毎日1万歩あるいています。

山の家にいると、熊が怖くて歩けませんが、町だと朝5時に散歩して、夕食の後に十五夜お月さんを眺めながら散歩できます。

畑や庭づくりは、かわいい鹿さんたちが食べつくすので、諦めました。うちの庭をサラダ・バーと思っているみたいです。

あと、クリスチャンに正式になりました。洗礼を受けたということです。

また、詳しく書きたいと思いますが、今日はこれで。