胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

映画『サンマ・デモクラシー』

まだ、沖縄がアメリカの庶民地だったころ、庶民の魚、秋刀魚に高い関税をかけられていることに、憤った魚卸業の王城ウシが税金の還付訴訟をおこした。相手は琉球政府だが、その背後にはアメリカから派遣された高等弁務官が権力をふるっていた。ウシさんの裁判は、沖縄の本土復帰闘争に火をつけていく。

秋刀魚裁判の弁護士をした政治家でもある下里恵良、投獄された政治家、瀬長亀次郎の姿を描きながら、沖縄の自治をかけて戦う人たちの姿を描く。

 

映画の案内役は、沖縄の噺家、志ぃさ~。講談調に物語を伝える。いちばん面白かったのは、新しい高等弁務官の就任式で沖縄の牧師が「願わくば、これが最後の高等弁務官になりますように」と言ったというところ。沖縄の言葉で語ったので、アメリカ人は気がつかなかったのだろうか。

高等弁務官というと、緒方貞子さんを思い出す。高等弁務官とは、宗主国が植民地に置いた施政の責任者で絶大の権力があったようだ。緒方貞子さんは国連の難民高等弁務官で人権を守る立場だったので、仕事の質は違うのかもしれないが、相当偉い地位であるみたいだとわかった。

 

日本への本土復帰が叶った沖縄の苦しみはつづく。高等弁務官が云う「日本の政治家は2枚舌だ。沖縄のことを思っているようなことを言いながら、わたしには沖縄の人たちを締め上げるように言う」。日本政府をあてにするのは良くないと高等弁務官が言う。大きくても小さくても権力というのはそういうもので、兵隊が庶民がそこらへんの貧しい人が死んだって痛みはない。死なないほどに搾り上げて生かしていく。

巷では選挙である。本当の政治家なんているのだろうか。わたしたちは自ら自由を売り渡し安全安心な壁の中の世界を望んでいるのだろうか。映画のような沖縄のエネルギーが欲しい。

『米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー~』はAmazonプライムで観れます。

 

それにしてもだ、秋刀魚が高い! きのうは久しぶりにスーパーへ行ったら生秋刀魚が置いていなかった。ずいぶん前は、細い秋刀魚が1匹280円した。ノスタルジーがわく。夫の実家は港町である。従弟たちには漁師さんもいる。東京に住んでいた時も山の中に住んでいた時も、大きな立派な秋刀魚が発泡スチロールの箱に50匹ぐらい入って送られてきた。食べても食べても減らない。近所に分ける。焼いて刺身でつみれにして、食べまくった。10年以上前の話だが、いまでは昔話になる。夫は子どもの頃、魚市場で落ちている秋刀魚をバケツ一杯拾ったとかいう昔話。わたしは子どもの頃、千葉の魚屋で大きな鯖を三枚におろしてもらうのを見るのが好きだった。あんな大きな鯖にはずいぶんお目にかかっていない。今食べるのは鯖の水煮缶だ。独身の頃も鯖が好きで、学芸大学の商店街の魚屋さんにおろしてもらい、自分でしめ鯖をつくった。新鮮な鯖が手に入らないとできない。すべて昔話。昔むかし、魚がいっぱい獲れました。安かったので庶民の食卓には毎日秋刀魚の塩焼きがのり、秋刀魚の匂いが通りに漂っていました。

スーパーの細い秋刀魚を見て、「こんな秋刀魚を獲らなければいいのに」と思った。

高くて売れない秋刀魚はどうなるのだろう。しばらく秋刀魚獲るのをやめたらと思うが、漁師さんたち他仕事がなくなる。日本が獲らないとよその国が獲る。よその国にやるくらいなら、目の前にあるものは獲ってしまう。そうやってすべてを奪いつくすまでわたしたちのシステムは変えられないのだろうか。