胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

映画『アイダよ、何所へ?』

映画『アイダよ、何処へ?』公式サイト

映画『アイダよ、何処へ』を見てきました。

ボスニア紛争末期1995年7月11日、ボスニア東部の街スレブレニツァがセルビア人の侵攻によって陥落した。そこで起こった虐殺をえがいている映画。詳しい映画の内容は、下にある作家・駒村吉重氏のブログを読んでみてください。

 

1995年。いまから26年前。わたしは子育てをしていたころ。ボスニア紛争セルビアユーゴスラビアNATO軍の空爆などのワードは新聞で見ていたけど、見ていただけで何も知らなかった。ずいぶん後で調べようとしたが、本を読んでもなかなか実感としてわかりづらい。

ルワンダの虐殺は1994年だった。これも映画『ルワンダの涙』で詳しく知る。

両方に共通するのは国連軍の無力さだ。虐殺が起こることをわかっていて撤退したり、移送に協力してしまう。世界の民主主義国家に市民が訴えても誰も助けには来ない。世界中が大挙して「とりあえず、殺すのはやめてくれ」と間には入らなかった。朝のコーヒーを飲みながら、何千人が死んだらしいと記事を読む。遠い出来事。

昨日のラジオでは、ミャンマーでの民主化運動への弾圧は続いているそうだ。市民はこんな横暴なことは国連や民主主義の国が黙っていないと思っていて助けを求めたが、だれも動かない。自分たちで戦うしかないと感じているとか。まわりの国が動かないのは国同士の利益の為なのだろうか。どういう権力構造や癒着や儲け主義があるのか、さっぱりわからないが、殺されるのは罪もない人々で偉い人たちは時代が変わっても生き残り、「虐殺はなかった」などと言っている。ほんとうにほんとうに終わらない。

日本人もまた、アジアでひどいことをしてきた。なかったことにはできない。

でも、こんなことをつぶやいている自分も傍観者でしかない。できることはないかなと考える。