胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

キム・ジヘ著『差別はたいてい悪意のない人がする』

 

『差別はたいてい悪意のない人がする』 キム・ジヘ著 (大月書店 2021)

 

 差別にする人たちは悪意がない。だってそれが当然なのだから仕方がない。正義は我にあるのだ。それはわかっている。それが悪意にしかみえないけれど。韓国も日本よりはましかと思ったが、いろいろ古い慣習から脱するのはむずかしいのかもしれない。

 

 前の職場で、職場の人が地域の年寄りに「ここらへんも外国人が多くなったから戸締りしないといけない」と注意喚起していた。心の中で「なにいっているんだ」と思ったけど、言い返さなかった。お年寄りの前でけんかしても仕方がない。ここらへんにいる外国人。たぶん技能実習生の若者たちだろう。ベトナムの女の子や中国の男の子が寒い中、自転車で通勤している。車からその姿を見て、大変だな、きちんとした待遇で雇われているのだろうか、ひどい目に合っていないかと心配していたが、彼らを犯罪者のようにいうその人にびっくりした。その人はいい人なのだ。私にも優しい。地域の人のために力貸す人だ。でも、それは仲間にはということだろう。その仕事も地域も離れるとわたしも異端者のひとりになるのかも。

 また、職場でソーラーパネルを作りに来た中国人の人たちがアパートを借りて住んでいるが、ゴミ出しがきちんとできていない、と怒っている人たちがいた。私はその時、「彼らを雇った会社が、きちんと地域のルールを教えてあげるべきじゃないか。彼らもわからないのかも。彼らのせいではなく日本の会社のやり方が悪い」と反論してみた。もちろん、反応はない。場が白けただけだった。せっかく、中国人は悪いで盛り上がっていたのに、水を差したのだ。

 人の悪口は、人の団結を深める。いじめもそうだ。外国人の悪口を言うのは、日本人の団結を深める。どこの国も何世紀にもわたり同じことを繰り返す。この世界にキリスト教の人口はかなりの数になるのに、「汝の敵を愛せ」というイエスの核となる教えはずっと無視されている。すごく不思議だ。キリスト教に限らず、イスラム教も天照大御神ほか宗教はいつも本質とは別に戦争に利用されてきたけど、信じやすい私たちは、本当の宗教の心を忘れて、プロパガンダに流される。流されるふりをしないと村八分になるからかもしれないが。

 

(P5253)

固定観念は一種の錯覚だが、その影響量は相当強い。いったん心の中に入ってしま洞、ある種のバグのように情報処理を攪乱する。人々は、自分の固定観念に合致する事実にだけ注目し、そのような事実をより記憶し、結果的に、ますます固定観念を強固にしていくサイクルが作られる。一方で、固定観念に合致しない事実にはあまり注意を払わない。固定観念を覆すような事例を見かけたとしても、なかなか考えを変えようとしない。かわりに、その事例を典型的でない特異なケースとして、例外として取りあつかうのである。

 違う信念を持つ人を変えるのはむずかしい。たとえば、夫婦別姓の話。姓を一緒にするか、別姓にするか選べるなら、好きにすればいいのではないだろうか。なにがそんなに怖いのだろう。家族なんてとっくに壊れている。たぶん別姓を選んだ家族の方が、夫婦や家族で話し合ったり会話が多く、うまくいくような感じがする。伝統的家族観を守るというのは、奴隷制を守りたい人たちのような気がする。これはわたしの偏見だが。

 

(P159)

古代ギリシアのポリス時代をはじめ、長きにわたり、不可視性が巨大化した人々の代表は奴隷だった。奴隷が存在する理由は、かれらの労働力を必要とする人がいるからだった。しかし、奴隷には顔も名前もなく、物理的には社会の中にいるが、同等の権利や社会的関係を持った構成員としては認められない、透明人間のような存在だった。ハンナ・アーレントの言葉を借りれば、奴隷はその労働力の必要性によって、「人間存在の中にとにかく組み入れられた」が、人間としての権利を失い「人類(メンシュハイト)から追放されたのだ。

 奴隷という地位は、たんに名称から決まるのではない。奴隷とは、人間の権利を与えられないまま労働力だけを必要とされる状態を意味する。「枠の中」に存在していても、その土地の「主人」と平等でない人、政治的権利を剥奪され権利を要求することもできない人、「主人」が必要とする労働力を提供し終えたら、痕跡も残さず消滅しなければならない人。こうした人々は、現代社会において何と呼ばれているかとは無関係に「奴隷」といえる。このような「現代の奴隷」は、わたしたちのまわりにどんな姿で存在しているのか。奴隷とは、とっくに消えた昔のことだと考えてもよいのだろうか。

 

技能実習生は完全に奴隷でしかない。だんだん日本の酷い実情が知れて、日本で働く外国人が少なくなれば、新しい奴隷は自国で賄わないといけない。そのためには格差を作り、上と下をわけないといけない。

でも、みんなその手にのらないで、自由に生きてほしい。若い人よ。いい大学に入らなくても、自由に自分らしく生きる方法は、まだ日本に残っている。絶望しないでほしい。