胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

ドキュメンタリー映画2本「愛国と教育」「私のはなし 部落のはなし」

わかっていたことだ。ニュースで報道されることをつなぎあわせていけば、この国は戦前に回帰したがっている。なぜなのか。だれかが誰かを支配し、偉くなって国民をコントロールすれば都合がいいからだ。都合がいいのは何に? お金と名誉。なんというか、反吐が出る。元外務省の人がインタビューされていたけど、両手に指輪をし、金ぴかのカフス。いま流行らないような成金趣味。気持ち悪い。いい男ならまだ見られるが、ただのおじさんがやると、こちらが恥ずかしくなる。東大の名誉教授の言葉はネットウヨのように深みもなくむなしい。この方が東大の先生? 悲しくなる。

正直言って絶望し悲しくなる。

日本は、本当にどんどん遅れた国になり、それを隠すように全体主義になっていく。国民の不満をよその国に対してや自国のなかでの差別にむけさせて、人と人を監視させ、歩調を整え、もういちど破滅へと道連れにされるような。

悲しくても何もできない。今度の選挙だってなにも期待ができない。

わたしたちの無力感が全体主義の大きな餌になるとわかりながら。

 

意味わからない。血とは何なのか。

なぜ部落がまだ残っているのか。

息子に映画の話をした。「東北に部落はあるの?」と聞かれたので、「あるのかもしれないけど、東北全体が部落みたいなものだから」と答えた。

ほんとうに血縁も地縁もない流れ者の私には、部落の人たちでさえ故郷があるということが少しうらやましかった。寄って立つアイデンティティがある。いろいろな血が混じり居場所のない人間には、血にこだわる人たちが差別する側もされる側もよくわからないのだ。