胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

ヤマナシの実

ヤマナシの実が今年はいっぱいなった。

借りている小屋の庭にヤマナシの木がある。

小屋の改修に手を付けたとき、このヤマナシの木は太い蔦にからまれ、まわりも細い柳の木があり、瀕死の状態だった。蔦を切るが、枝にからまってしまいはがせない。上のほうは無理だと思っていたら、根元が切れて腐れたのだろう何年かたって、蔦はきれいに落ちてなくなった。

そしてこの春のヤマナシの花はきれいにたくさん咲いた。

花が咲くと、スズメバチがこの木にくる。巣をつくるのかと見張っていたが、樹液があるのか、木の皮を巣づくりに運んでいるのかよくわからないけれど、しばらくヤマナシの木にいて飛び去る。

そのスズメバチたちがどこへ飛び去るのかを眺めている。どこかに巣をつくっているはずだ。

そんなスズメバチが来なくなった。ほかに良い木をみつけたのか、人間の家にでも巣をつくって退治されてしまったのか。

 

秋になり実をつけ、それは小さいのだけど梨の色形で、味も梨の味なのだ。

宮澤賢治の「やまなし」では、ヤマナシは川に沈んでひとりでにお酒になるとあったが、地上でほっておいたら腐れるだけだから、わたしはヤマナシホワイトリカーにつけた。どんな味のお酒になるだろう。

 

文庫の庭にあるヤマナシの実

今日、9/20の朝は風雨が激しくなっている。台風が通り過ぎているのだろう。昨日も蒸し暑かった。そとには出かけず読書。京都にでかけていた次男は「予定を変えてはやめに東京にもどった」とLINEが来た。

昨日は、地元の新聞の俳句評が書いてあるコーナーでわたしの俳句が取り上げられていた。新聞は取っていないけど、知り合いの俳人が朝一番にLINEで画像を送ってくれた。

読んでみると、私の前には先輩俳人のKさんの俳句も取り上げられている。

Kさんと俳句がならんでいることが嬉しかった。

ちょうど、日曜日にKさんと岩手公園を歩き、むかしは岩手公園に動物園があったこと、梅園であったことなど話してくれたのだ。80代後半で独り暮らしのKさんだが、句会に吟行にと出かけて、児童文学の研究もされている。もと幼稚園の先生で、この間まで教会の礼拝でオルガンも弾いていた。スタスタと歩ける。好奇心旺盛で、少女のようなところがある。こんなふうに年をとりたいと思う。