著者はガザで生まれ育ち、作家となり2019年からパレスチナ自治政府文化大臣となり、ヨルダン川西岸地区に在住していた。2023年10月7日は長男と二人でガザの実家へ遊びに来ていた。海岸で泳ごうと出かけたときに、イスラエルからの攻撃が始まりガザを出られなくなる。北部にとどまり、まわりの人たちが亡くなり建物が破壊され、食べるものも水も無くなっていく。著者も言うこれはハリウッド映画の撮影か何かなのか。とうとう南への逃げるが、そこでは文字通りのキャンプ生活。2023年12月30日に著者と息子はラファの検問所からエジプトにできる。ガザには父親がおり、親しい人たちを置いての脱出に後ろ髪をひかれながら。でも、妻に「息子を連れて行ったのはあなただから、私の息子を連れて戻って」と言われている。著者は文化大臣でもあり有名人だからガザを出られたのかもしれないが、食べ物もすべて不足した難民生活となっているガザを去る辛さが伝わる。
本を読んでいると、なにかSFか戦争の物語を読んでいるような気がするけれど、これは現実に今も起こっていること。わたしはつい物語と消費している自分に反吐が出そうになる。
ニュースは「イスラエル原理組織ハマスとイスラエルの戦争」と伝えるけれど、間違っている報道だとよくわかる。
P66〈数日前、サーメル・マンスールの大型書店が、テナントとして入っていたビルごと破壊された。この「レゴ」ビルは、新しくできた美しい区画で、屋上にはリストレットと呼ばれるカフェがあり、若いフリーランサーや技術系の若者たちのたまり場にとなっていた。今は、残骸に混じって書籍や食器類が散乱している。2021年の進行では、サミールの書店の前進だった店が破壊され、そのときは国際的な非難がわきあがった。世界じゅうから出版社が寄付する書籍を送ってきた。一年前、私は新たな在庫の並んだ新しい建物の落成式を執り行った。それも今は廃墟と化し、世界は沈黙している。〉
P225〈イスラエル軍によるガザ地区への監視はもう二〇年前から続いている。高額、赤外線、無線とありとあらゆるレンジのさまざまな装置を使って、ガザ地区を隅から隅まで監視しているらしい。監視気球が境界壁の上に漂っている。境界線に沿った緩衝地帯には監視カメラがワイヤーにぶら下がっている。水平線からは軍艦が監視しているし、とりわけ重要なドローン監視機は、非常にたくさんの数が、昼夜を問わず上空をパトロールしている。この「デジタル占領」は、そんなに侵略的ではないとおもわれるかもしれない。しかし、イスラエル軍は境界壁の向こうにいたとしても、彼らの情報収集活動はガザ地区の奥深くまで浸透している。それとは対照的に、パレスチナ人は何も持っていない。空軍はなく(滑走路さえない)、海軍も、ハイテク機器もない。私達がこうしたものを持つことは許されていない。そうすると、次の疑問が浮上するーどこまで非対称な関係になれば、その戦闘行為はもはや「戦争」とは呼べなくなるのか? そんなものはただの虐殺だ。〉
p304 〈イスラエルがガザを占領していた時代、私は万一の襲撃に備えて、一定の本を隠していた。ガッサーン・カナファニーの本を畳んだ布の間に挟んで戸棚に隠しておいたし、サラ・ハラフの『アイデンティティのないパレスチナ人』のような、パレスチナの歴史に関する他の重要文献もそうだった。当時は、こうした本を持っていることが見つかると、最低でも六カ月の禁固刑をくらった。〉
P375〈マザルは、もう戦争のことは考えていないと、後ろめたそうに打ち明けた。頭の中は日々の困難でいっぱいなのだ。かまどの薪をどう確保するのか、洗濯の水をどう確保するのか、濡れた服を速く乾かすにはどうするか、パンの小麦粉をどう手に入れるか、援助物資を受け取るための行列にいつどこで並ぶか。「時々、戦争がまだ続いていることさえわすれてしまう」と彼女は言った。そうしてまわりを見回し、こう続けた。「前の生活のことさえ忘れているの。昔の家や、昔の生活のことは考えない。今このときの苦しさが、他のすべての考えや記憶を追い出してしまうの」〉
P379〈国際機関といえば、ジャーナリストたちよりも前に北部を離れた。赤十字がガザ市の事務所から撤退した日のことを覚えている。戦争の第2週のことだった。私たちはプレスハウスから通りに出て、赤十字の車両が列を作ってアル=シャハーダ通りにある事務所を出ていくのを観た。彼らは、海外からのスタッフだけでなく、現地採用の職員とその家族も全員避難させた。当時の噂では、デイル・アル=バラフの施設の方が安全なので、そちらに移転するとのことだった。これは非常に早い時期のことで、イスラエルが民間人に退去を要求し始める前のことだった。他の国連機関も同じように行動した。彼らはみんな去って行った。ガザ市を見捨て、自力で何とかしろとばかりに放りだしたのだ。赤十字のにんむは戦争時に民間人の保護を保証することなのに、彼らは民間人が戦争で殺されるままに放置した。」
⇒ルワンダの虐殺も1992年のボスニアヘルツェゴビナ紛争を描いだ映画「アイダよ、何処へ」もそうだ。国連が見捨てた後に民間人が虐殺される。
実際に起きた事件をもとに描かれた物語。ノンフィクションではあるけれど、西岸地区に住むパレスチナ人の困難な生活が伝わってくる。
遠足へ行く園児たちが乗ったバスが横転し燃えた。載っているのはパレスチナ人の子ども達。イスラエルの救援は来ない。その道路はイスラエルの管轄だが、酷い状態の道路だった。なぜ園児たちが死ななくては行けなかったのか、まるでパレスチナを囲む壁のように何重にも原因が張り巡らされ、その陰に隠れて責任はあいまいになり、追及はできない。でも、この物語を読むと、子を無くしたアーベドの悲嘆は、いままでたくさんの子ども達を無くしてきたパレスチナ人の親たちの悲嘆に呼応していく。
P242に亡くなった子どもの1人、サラーフが遠足の前に祖母の家でザアタルを塗った平たい丸パンを食べたことが描かれている。先日、映画「採集する人々」を観て知ったザアタル。知ることは大事だ。ザアタルを知ったことで、脳内に映像が湧き出てくる。パレスチナの野原とおいしそうな食卓が想像できる。
イスラエルのユダヤ人も一丸ではなく、東欧出身のユダヤ人はアフリカから来たユダヤ人を蔑んでいたりする。ベルリンの壁が壊れたように、パレスチナの地にできた壁を壊す日が来るのだろうか。