胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

近況(2026年6月)

パートで働いている精神科病院の若い患者さんに「俺の人生終わっているんだ。なんでそんな白い髪して、ニコニコ働いていられるんだ」と言われた。「人生にとっくに絶望しているよ。自死するわけにもいかない。働いて食べて寝て機嫌よくしていれば時間が過ぎるの」と答えた。「なんか趣味もった方がいいすよ」と心配してくれた。

 絶望からはじまる活動もあると思う。暗いけどわたしの詩歌活動もそこからきている。絶望して食べて、出して、寝て、運動する。絶望しているけど自由だ。

 

というわけで、去年から前に働いていた精神科病院で週3日パートで精神保健福祉士として働いている。人手不足で電話があり、お手伝いに行っている。デイケアや訪問看護などするのだが、看護師さん、看護助手さんも70歳になっても働き、患者さんも高齢化し老々介護の状態で、あと10年経ったらどうなっていくのだろう。田舎なので、看護師不足だけでなく、あちこちの福祉事業所も人手不足である。働く人が確保できなくて閉じたグループホームもある。A型の就労施設もなくなった。昔ながらのB型しかなく、賃金は安く厳しいので紹介するのも心苦しい。

隔離拘束はある。

なんだか、わたしが精神保健福祉士をとった時より、障害福祉サービスが劣化していないだろうか。志(こころざし)みたいなものが消えて、経済効率や企業経営の駒になっているように感じるは、考えすぎなのだろうか。PSWもまた正義感よりは要領の良さが必要なの世界になっている。でも、パートのおばさんが何を言ってもうるさがられるし、明るく働くしかない。

 

そうそう、詩集「栞」も出しました。俳句活動も続けています。

相変わらず、映画見て本を読んでダラダラ暮らしています。

来月は引っ越します。

あ、孫もできました。

 

ということで、引越し作業が終わったら、まじめにこのブログに生活記録を書いていこうと思っています。

 

宮本常一『民俗学の旅』

 

宮本常一民俗学の旅』(講談社学術文庫)

P146~147

「鴨庄を訪れたあと私は東京へ出て渋沢邸へいった。ちょうど役所(先生は当時大蔵大臣であった)から帰ってきた先生は「幣原さん(当時首相)は大変なことを考えておられる。これから戦争を一切しないために軍備を放棄することを提唱しようとしておられる」と昂奮気味に話された。

「軍備を持たないで国家は成り立つものでしょうか」とおたずねすると「成り立つか成りたたないかではなく、全く新しい試みであり行き方であり、軍備を持たないでどのように国家を成立させていくかをみんなで考え、工夫し、どりょくすることで新しい道が拓けてくるのではないだろうか。一見児戯に等しい考え方のようだが、それを国民一人一人が課題として取り組んでみることだ。その中から新しい世界が生れてくるのではなかろうか」と言われた。

 

これは実にむずかしいことである。しかし日本人としてやらねばならないことではないかと思った。この先生のことばは今も私の心の中になまなましくいきている。学問をするということも、人が人を信頼する関係をうちたてていくためであり、どのようにすれば安んじて生活していくことができるかを見つけていくためのものであると思う。そしてそういうことについて、私にできることは何であろうかと考えた。今も考え続けている。ただ戦争反対、軍備反対と叫んだだけでは戦争はなくなるものではない。一人一人がそれぞれの立場で平和のためのなさねばならぬことをなし、お互いがどこへいってもはっきり自分の是とすることを主張し、話し合えるような自主性を持つことであり、周囲の国々の駆け引きに下手にまきこまれないようにすることであろう。そしてそれを農民の立場から主張してゆくには、食料の自給をはかることではないかと考えた。食料を自給し得ている国は外国の干渉を排除することができる。それは今日までの歴史を見ればおのずから肯定できる。農民としてなさねばならないことは、より高い生産性をあげ、まず国民の食糧を確保すること。次には国民の一人一人が安定した生活ができるような道を見つけていくことだと考えた。」

 

 宮本常一パトロンで師でもある渋沢敬三は、渋沢栄一の孫であり財閥である。日本銀行の総裁を務め、その後政府要職につく。まだ太平洋戦争がはじまる前から、宮本常一に戦争は負けると話していたようだし、中枢にいる人たちは戦争の行く末はわかっていたのだろう。それでも、だれも止められなかった。

 憲法9条はアメリカの押し付けという方もいるが、武力放棄に希望と理想をもった日本人や政治家がいたことも確かなのではないだろうか。あんな敗戦をした責任を痛感して、戦争はもうしたくないと思ったはずである。戦後80年経って苦しみは忘れられ、また日本は神の国と思っている。

 でも、後半に宮本常一が言うように食料自給率もなく、米さえ足りない日本で戦争なんて無理な話である。また精神論で戦うのだろう。お国のためなら、飢えも我慢します、なんてね。ヨーロッパの国々が自給率が高いのは、戦争に備えてと聞いたことがある。地続きの国同士なにがあるかわからないからだ。

 とにかく、自給率あげてから軍備ににしてください。米も買えない人たちがいて、米を食べれなくて、なにが戦争だよ。頭冷やしてほしい。

パレスチナの本2冊『ガザ日記』『アーベド・サラーマの人生のある一日』

 

著者はガザで生まれ育ち、作家となり2019年からパレスチナ自治政府文化大臣となり、ヨルダン川西岸地区に在住していた。2023年10月7日は長男と二人でガザの実家へ遊びに来ていた。海岸で泳ごうと出かけたときに、イスラエルからの攻撃が始まりガザを出られなくなる。北部にとどまり、まわりの人たちが亡くなり建物が破壊され、食べるものも水も無くなっていく。著者も言うこれはハリウッド映画の撮影か何かなのか。とうとう南への逃げるが、そこでは文字通りのキャンプ生活。2023年12月30日に著者と息子はラファの検問所からエジプトにできる。ガザには父親がおり、親しい人たちを置いての脱出に後ろ髪をひかれながら。でも、妻に「息子を連れて行ったのはあなただから、私の息子を連れて戻って」と言われている。著者は文化大臣でもあり有名人だからガザを出られたのかもしれないが、食べ物もすべて不足した難民生活となっているガザを去る辛さが伝わる。

本を読んでいると、なにかSFか戦争の物語を読んでいるような気がするけれど、これは現実に今も起こっていること。わたしはつい物語と消費している自分に反吐が出そうになる。

ニュースは「イスラエル原理組織ハマスイスラエルの戦争」と伝えるけれど、間違っている報道だとよくわかる。

 

P66〈数日前、サーメル・マンスールの大型書店が、テナントとして入っていたビルごと破壊された。この「レゴ」ビルは、新しくできた美しい区画で、屋上にはリストレットと呼ばれるカフェがあり、若いフリーランサーや技術系の若者たちのたまり場にとなっていた。今は、残骸に混じって書籍や食器類が散乱している。2021年の進行では、サミールの書店の前進だった店が破壊され、そのときは国際的な非難がわきあがった。世界じゅうから出版社が寄付する書籍を送ってきた。一年前、私は新たな在庫の並んだ新しい建物の落成式を執り行った。それも今は廃墟と化し、世界は沈黙している。〉

 

P225イスラエル軍によるガザ地区への監視はもう二〇年前から続いている。高額、赤外線、無線とありとあらゆるレンジのさまざまな装置を使って、ガザ地区を隅から隅まで監視しているらしい。監視気球が境界壁の上に漂っている。境界線に沿った緩衝地帯には監視カメラがワイヤーにぶら下がっている。水平線からは軍艦が監視しているし、とりわけ重要なドローン監視機は、非常にたくさんの数が、昼夜を問わず上空をパトロールしている。この「デジタル占領」は、そんなに侵略的ではないとおもわれるかもしれない。しかし、イスラエル軍は境界壁の向こうにいたとしても、彼らの情報収集活動はガザ地区の奥深くまで浸透している。それとは対照的に、パレスチナ人は何も持っていない。空軍はなく(滑走路さえない)、海軍も、ハイテク機器もない。私達がこうしたものを持つことは許されていない。そうすると、次の疑問が浮上するーどこまで非対称な関係になれば、その戦闘行為はもはや「戦争」とは呼べなくなるのか? そんなものはただの虐殺だ。〉

 

p304 〈イスラエルがガザを占領していた時代、私は万一の襲撃に備えて、一定の本を隠していた。ガッサーン・カナファニーの本を畳んだ布の間に挟んで戸棚に隠しておいたし、サラ・ハラフの『アイデンティティのないパレスチナ人』のような、パレスチナの歴史に関する他の重要文献もそうだった。当時は、こうした本を持っていることが見つかると、最低でも六カ月の禁固刑をくらった。〉

 

P375〈マザルは、もう戦争のことは考えていないと、後ろめたそうに打ち明けた。頭の中は日々の困難でいっぱいなのだ。かまどの薪をどう確保するのか、洗濯の水をどう確保するのか、濡れた服を速く乾かすにはどうするか、パンの小麦粉をどう手に入れるか、援助物資を受け取るための行列にいつどこで並ぶか。「時々、戦争がまだ続いていることさえわすれてしまう」と彼女は言った。そうしてまわりを見回し、こう続けた。「前の生活のことさえ忘れているの。昔の家や、昔の生活のことは考えない。今このときの苦しさが、他のすべての考えや記憶を追い出してしまうの」〉

 

P379〈国際機関といえば、ジャーナリストたちよりも前に北部を離れた。赤十字がガザ市の事務所から撤退した日のことを覚えている。戦争の第2週のことだった。私たちはプレスハウスから通りに出て、赤十字の車両が列を作ってアル=シャハーダ通りにある事務所を出ていくのを観た。彼らは、海外からのスタッフだけでなく、現地採用の職員とその家族も全員避難させた。当時の噂では、デイル・アル=バラフの施設の方が安全なので、そちらに移転するとのことだった。これは非常に早い時期のことで、イスラエルが民間人に退去を要求し始める前のことだった。他の国連機関も同じように行動した。彼らはみんな去って行った。ガザ市を見捨て、自力で何とかしろとばかりに放りだしたのだ。赤十字のにんむは戦争時に民間人の保護を保証することなのに、彼らは民間人が戦争で殺されるままに放置した。」

 

ルワンダの虐殺も1992年のボスニアヘルツェゴビナ紛争を描いだ映画「アイダよ、何処へ」もそうだ。国連が見捨てた後に民間人が虐殺される。

 

 

実際に起きた事件をもとに描かれた物語。ノンフィクションではあるけれど、西岸地区に住むパレスチナ人の困難な生活が伝わってくる。

遠足へ行く園児たちが乗ったバスが横転し燃えた。載っているのはパレスチナ人の子ども達。イスラエルの救援は来ない。その道路はイスラエルの管轄だが、酷い状態の道路だった。なぜ園児たちが死ななくては行けなかったのか、まるでパレスチナを囲む壁のように何重にも原因が張り巡らされ、その陰に隠れて責任はあいまいになり、追及はできない。でも、この物語を読むと、子を無くしたアーベドの悲嘆は、いままでたくさんの子ども達を無くしてきたパレスチナ人の親たちの悲嘆に呼応していく。

P242に亡くなった子どもの1人、サラーフが遠足の前に祖母の家でザアタルを塗った平たい丸パンを食べたことが描かれている。先日、映画「採集する人々」を観て知ったザアタル。知ることは大事だ。ザアタルを知ったことで、脳内に映像が湧き出てくる。パレスチナの野原とおいしそうな食卓が想像できる。

イスラエルユダヤ人も一丸ではなく、東欧出身のユダヤ人はアフリカから来たユダヤ人を蔑んでいたりする。ベルリンの壁が壊れたように、パレスチナの地にできた壁を壊す日が来るのだろうか。

映画『採集する人々』

宮古市にある「CINEMA DE AERU」で『採集する人々』を観る。
 2022年パレスチナ
 監督:ジュマーナ・マンナーア
 
イスラエル占領下に住むパレスチナ人。ガザや西岸地区ではなく、イスラエルの土地に住むパレスチナ人のようだ。彼らの楽しみは山菜採り。特に、タイムの一種「ザアタル」、野草の王様「アックーブ」を食べることを楽しみにしている。なのに、野草をイスラエルは採集禁止とした。名目は自然保護。しかし、パレスチナ人は長年これら野草と共に生きてきた。絶滅などさせはしない。まったくのイスラエルの嫌がらせにしかみえない。
一方、イスラエル人が経営する農場でアックーブを大量に作り、パレスチナ人に売る。ザアタル入りパンもつくりパレスチナ人に売る。今まで山に行って採集してきたものが商品となる。
今回の映画は、悲惨な場面は出てこない。イスラエルの目をかいくぐって採集しようとする人びとだ。山には監視員がいて、見つかれば警察に突き出され裁判を受ける。捕まった男女は堂々と「何が悪いのかわからない」と言う。
特に利口なかわいい犬たちと暮らす男性は、「自然はわたしなんだ。そのわたしが採集するのがなぜ悪い」と話す。
この男性を見て、わたしは隣のおんちゃんを思い出した。まえに「美味しい茸」という詩に書いたおんちゃんは、映画のパレスチナの男性に似ている。おんちゃんは山仕事をしていたが、山菜を採り、茸を採り、釣りをしていた。まさに採集人だ。お風呂は嫌いだし、薪ストーブのある小屋で犬や猫と寝ていた。毎日、日記を書いていた。おんちゃんには、なにがどこに生えているかわかるのだろう。わたしはお裾分けにあずかっていた。
映画を観ていると、今いる村の人たちの姿が重なる。もし、ワラビもフキもシドケも、「自然保護のため採ってはならない」という法律ができたら、どうするだろう。栽培されたものを店で買いなさいと言われたら。ぜったい守らないで山に入ることだろう。みんな「栽培物は美味しくない」と言う。わきまえて大人しくしているようには思えない。
去年、アジアンドキュメンタリーでパレスチナ関係の映画を見てきた。『ガザ自由な戦い』『医学生ガザを行く』『オスロ・ダイアリー』『プロミス』『美容室』『ガザの救急隊』『兵役拒否』『ここはわたしの土地』『MAYOR』。
ただ観つづけて理不尽さを感じた。今回の『採集する人々』は、わたしたちの生活の地続きに感じることができた。クソな政府は何をするかわからない。日本だって何が起こるかわからない。
「美味しい茸」は、放射能で山菜や茸が取れなくなった時の話だ。放射能が降った年、おんちゃんから茸採りに誘われた。採ってはいけない。放射能が茸に溜まっている。それでも、おんちゃんとわたしは茸を採る。おんちゃんは、切り株に腰かけて、「なんでこんなことになったんだ」と言う。おんちゃんだってわかっている。でもわからないのだ。山菜や茸を採って食べちゃいけないというのは誰のせいなんだ。
 
この映画を配給しているのは「本庄からパレスチナの会」である。映画の後に会の遠藤徹さんがオンラインで参加して配給した思いなどを語ってくれた。映画を見た私たちも一人ずつ感想を言う。わたしは放射能で採集できなくなったことを思い出したと話した。遠藤さんは、それも国の政策で起こったことでつながると話す。
そうなんだ。どこの国でも偉い人たちにはわからないのだ。山の恵を採集することが楽しみで生きがいで、お金をかけずに美味しいものをいただけること。それが大事な生活というもの。
「採られなかったら、買って食べればいいじゃない」と思っているのかもしれない。構造は同じなのだ。理不尽なツケは庶民が負うことになる。
 

www.cinemadeaeru.com

 
 美味しい茸

隣に住むおんちゃんが「茸とりに行こうと」と誘ってくれた
すぐそこの森にボリが一面に生えているのだ
躊躇する気持ちがあった
でも、「行くよ」と言って籠を手にした
茸とりは面白い。夢中になってとる
おんちゃんが切り株に腰かけてつぶやく
「胡桃ちゃんよ、なんでこんなことになったんだ」

息子たちが小さい頃、友人が本を整理したからとたくさんの絵本を送ってくれた。そのなかに写真家・本橋誠一の『チェルノブイリの風』があった。
チェルノブイリ原発事故は、1986年4月28日。
その本の発行は、1993年4月26日。
本橋誠一はチェルノブイリから170キロ離れたチェチェルスクにいる。事故が起きたときにチェルノブイリからの風で放射性物質が運ばれ、土地が汚染された場所。強制移住区域なった村である。でも、強制移住に応じず村で自給自足的生活を営んでいる老人たちがいる。その写真絵本のなかで一番印象深いのが、食卓にならんだご馳走である。塩豚、目玉焼き、川魚のフライ、マッシュルームの酢漬け、ヨーグルトとはちみつ、トマト。ぜんぶ自家製である。山や川から採り、畑で育て、豚や鶏を飼う。昔ながらの生活。そのご馳走に放射能物質がふくまれている。作者はもちろん、たらふく食べる。

それは遠いできごと、だったはずである。
2011年3月11日東日本大震災がおこる。その後福島原子力発電所が爆発。
福島原発から322㎞離れたこの山里にも放射能がふりホットスポットとなった。
山菜、茸は食べてはいけない。牧草を牛にあげてはいけない。薪を燃やしてはいけない。
薪の灰は畑にまかないで、袋にいれてゴミに出すように。

かんたんには生活は変えられない
老人ともうすぐ老人の
わたしたちは山菜、茸を食べ、鹿を食べ、薪を燃やした
おんちゃんは山の人である。釣り名人でもある
山のものを食べてはいけない、どういうことだ
何事もなかったように緑は生え、川に魚はいる

「なんでこんなことになったんだ」
おんちゃんは電気を少ししか使っていない
東京へもいったことがない
ほんとうにわからないのだ
その夜、茸汁をつくった
どれだけの人が傷ついているのか
茸汁はいつものように美味しいのに
不信と嘘が隠されている
「なんでこんなことになったんだ」
健忘茸をたべたように
わたしたちはすぐに忘れてしまう
「なんでこんなことになったんだ」
疑問さえ言えなくなっている
山の幸はあいかわらず美味しい

『採集する人々』の上映会でもらったアックーブを描いた絵葉書

 

映画「オッペンハイマー」

 

www.oppenheimermovie.jp

新年おめでとうございます。

何がめでたいのかと思うこと強いのですが、気持ちを新たに歩みたい。

1月いっぱいで仕事を辞める。ほんとうは12月いっぱいで辞めたかったけど、そうもいかなかった。この組織から抜けられるまで気持ちが落ち着かない。最後の最後に最低な場所で働いてしまった自分への後悔が募る。これで、福祉業界から足を洗う決心がついた。

 

元旦にAmazonプライムで「オッペンハイマー」を見る。役者たちがよかった。しかし、話はわかりづらい。オッペンハイマーが科学者としてどれくらい優秀なのか、私の頭ではよくわからない。オッペンハイマー共産主義にシンパシーを感じていた時代や友人たちがいたために、ソ連のスパイと言われたり貶められていく話は知らなかったので、そういう背景があったことを知る。しかし、オッペンハイマーが核使用に懸念を表明しても、作ってしまったことは事実で、アインシュタインに自分たちは破壊者となったと言うのも科学者たちはよくわかっていたとは思う。そして政治家たち。決めるのは政治家と軍人で。自分の保身と権力を気にかけるので、よその国の民のこと等気にしない。それは昔も今も同じで、どこまで続くのだろう。「オッペンハイマー」が日本の原爆投下をきちんと描いていないという文章をどこかで読んだが、それは仕方ないだろう。これはオッペンハイマーの物語なのだから。怖いのはわたしたち民衆だ。敵の国を「殺せ」と叫ぶ。戦闘的に強くなれば政治家の支持率はあがる。敵や役に立たないものを抹殺することを喜ぶ、そこには何か人間を興奮させるものがあるようで、吐き気をもよおす。

 

自分の俳句や詩の作品で賞を取ったものなどは、noteのほうにまとめている。ほかに家業のSNSなどもやっているので、このブログがおろそかになってしまった。

2025年になってもウクライナ戦争もガザの虐殺も終わりが見えない。ほかにも難民や内戦や戦争が起こりそうな気配。たぶん、戦争は儲かるのだろう。誰かにとって。イスラエルに武器を売りながら停戦を促す。もう西欧諸国の民主主義も人権発言もうすら寒い言葉に聞こえてくる。

「停戦を」と言うが、停戦の後にパレスチナ人はどうなるのだろう。狭い土地に閉じ込められるのか。地中海に面した歴史ある土地を奪われてしまうのではないか。そのために徹底的に破壊しているのではないかとさえ思う。やりたい放題をただ見ている。甘い汁がどこかにないかと見ている人々。

希望が見えない、前向きになれないというのが元旦のほんとうの気持ちだ。

『牧師、閉鎖病棟に入る。』 沼田和也著

 

 

 ずいぶんとひさしぶりに投稿する。

 古本市で買った本。この本を手に取ったら、売っていた女性が話しかけてきた。

「牧師さんが精神科の閉鎖病棟に入院した話です。閉鎖病棟というのは…」というのを遮って、「わたしは精神保健福祉士で、精神科病院に働いていたから閉鎖のことはわかる。そうでもって、著者と同じ日本基督教団の信者なのだ」と話す。お店の若い女性が「わたしも社会福祉士です」とキラキラした目で答える。「わたしも社会福祉士ももっているのよ」と応じるが、これらの国家資格で働いているわけでもない。つまらない目をしていたかもしれない。

 

 本を読んで、著者は精神科病院に入院して救われたというか、自分の新たな道を歩めたのだろうが、たくさんの社会的入院の上に亡くなった人や薬の副作用に悩まされる人を思い出してしまった。精神科病院とはなんだろうと思う。病院と言っても治せない病院。下手すれば悪化させる病院。わたしが国家試験を受けるときは、社会的入院を減らすプランだったが、どこまで減らせたのだろうか。状況は一時良くなっていくように見えたが、なんだか逆戻りしていないかとも心配になる。