胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

どう老いていくのか

 久しぶりに訪問した利用者さんから、
「皆さんは、どういうふうに老いながら暮らしているのですか」
と聞かれた。
 彼女はまだ80歳前だが、夫に先立たれ、残っていた息子も出て行き、少しからだが不自由になり、毎日をどうやって過ごすか考えている。そこで、ほかの人たちは、どうやって老いと向き合って暮らしているんだろうと知りたかったみたいだ。彼女はまじめな人で、きちんとした主婦だったのだろう。「お盆に、お父さんの仏壇のある部屋だけでもと障子を張り替えたら、疲れて具合悪くなったの」と言う。昔は2日もあれば、家全部の障子を張り替えたのだが、年々できないことが多くなる。そうしてどこまで行くのだろうと不安になる。
「障子なんて、私は3年も張り替えていませんよ」と思うが、人の性質はみな違うものね。きちんと生活できないことに落ち込む人もいるし、汚くても平気という人もいて、これも困りものになるが、老いの中の生活は本当にいろいろなんだけど、実にみんなそれぞれの哲学ややり方を持って、さぐりながら生きているということは同じなのだ。
 個性あってユーモアあって、まだまだ死なないような女性グループと話していて、ふと端っこに座っていたCさんが居眠りしている。椅子からずれて落ちそうなので、私が起こそうとしたが、起きなかった。後期高齢者は確かにとなりに死が寄り添っているとわかった。だから、尊厳死ではなく尊厳ある生き方を模索したい。