胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

神楽映画①「早池峰の賦」

わたしたち夫婦が遠野に移住したのは1993年。もう30年近く前である。移住地に神楽があった。神楽というものを初めて見た。

その頃に羽田澄子演出の「早池峰の賦」というドキュメンタリー映画を知った。映画は見る機会がなかったが、羽田澄子著『早池峰の賦』を手に入れた。撮影の様子や当時の岳や大償の様子を描いたものだ。この本もどこかへいってしまった。

映画「早池峰の賦」をやっと観ることができた。シワキネマという自主映画のグループがかけてくれたのだ。これだけはなにがなんでも行かなくちゃと出かけてきた。

 

ドキュメンタリー映画早池峰の賦」は、1982年公開である。

1982年、わたしはまだ大学生だった。この年で記憶に残る出来事は、ホテルニュージャパンの火災事故、フォークランド紛争など。ヒット曲は松田聖子の「赤いスイートピー」、中島みゆきの「悪女」、あみんの「待つわ」などがある。音痴でカラオケが嫌いな私も、逃げられない時は「悪女」を歌ったものだ。

バブル景気は、1986年から1991年といわれるが、1982年も日本は経済復興をし国民は未来に希望を持ち消費文化がますます盛んになっていた。

その余波は「早池峰の賦」の舞台の岳にもつたわる。

映画のなかで、大きな立派な南部曲がり屋が壊され、あたらしい家を建てる。立派な柱や梁が倒されていくのをみるときに、「ああ、もったいない」と声が出そうになる。いまなら保存して内部リフォームして暖かく素敵に暮らせるかもしれない。あの頃は、古いものはだめだという時代だったんだから仕方がない。古民家をリフォームするより壊して新しいものを建てたほうが安価なのかもしれない。曲がり屋を壊して萱や縄や木を燃やしていく。燃えて灰になり環境に負荷がかからないものなのだ。

映像を見ると、この時代まで村にプラスチック製品があまり入り込んでいないようだ。タバコの葉も筵のようなもので包んでいた。風呂敷も活躍する。そんな時代だった。

そういえば、わたしが山里に移住した頃に、プラスチックのザルや水切りなどを配って宣伝活動をしていた業者がいたが、あれは何を売る目的だったのだろう。腰をまげた女性たちが色とりどりのプラスチック製品をビニール袋にいれて嬉しそうに家に帰る姿が記憶にある。まだ100円ショップは身近にはなかった。プラスチック製品はきれいで軽くて喜ばれるようになって、あっというまに農村に広がっていく。

 

この映画は、まだ昔ながらの生活が残っている山里の貴重な映像資料になっている。昔を振り返っても仕方ないと言われるかもしれないが、手仕事や自然素材が見直されている時代である。暮らすことの見本にもなる映画だと思う。タバコの葉を出荷するまでの苦労。葉をかいて、その日のうちに干して、乾燥したらしわを伸ばして保存する。それを1枚ずつ状態を見てふりわける。手間暇を考えると割の合わない労働だ。でも、いくつかの手間賃やら農作物を売って、炭焼き山仕事、神楽の宿や門付で暮らすことはできた。

そのころつくっていた葉タバコは「南部葉」といわれる品種。寒冷地でも育てやすい。葉巻の外巻に使われていたが、葉巻の需要が減り南部葉の植え付けも終わりになる。南部葉は花魁が使っていたので「花魁たばこ」とも言われたと説明していたが、花魁がキセルで吸っていたあのタバコの葉が南部葉だったのだろうか。南部葉の栽培はなくなり、「バーレー種」という葉タバコに変わっていったとあるが、現在はタバコを喫煙する人も減り、葉タバコ栽培をしている人も遠野でも少なくなった。残ったのは大きな作業小屋である。小屋ではない2階もある大きな建物。葉タバコを干すためにつくった。たぶん助成金がでたのかもしれない。マンサード小屋では下では牛を飼い、2階でタバコを干していたと聞く。

 

しかし、現金が必要な時代になる。バスの運賃や学費、子どもはただのノートではなくキャラクターのはいった文具が欲しくなる。町に出れば買いたいものがいっぱいだ。車で着物やなにやら売りに来る人がいる。わたしなら、そんなもの買わないのに、「せっかく遠くまで来たのだから」と服や着物を買ってしまうおばあさんも知っている。みんなへそくりがあったのだろう。とにかくお金を出して何かを買うことが娯楽となる。胸がすっとする。

訪ねれば、お茶ではなくオロナミンCが出てくる。箱買いをしているのかもしれない。ビンのゴミが山とたまる。そう、この映画が製作された前後で農村の生活が大きく変わっていったのだ。

 

自分は知らない癖に一昔前の農村が懐かしくて、見入ってしまった映画だった。

昔の生活には戻れない。そう思いがちだけど、全部ではなく戻れるところは戻ってもいいだろう。自分の手で食べ物を作ってみたり、効率からは遠い手仕事をする。プラスチックからは遠ざかる。ペットボトルは買わないで水筒を持ち歩く。出かけるときはおむすびを持つ。こういう生活をすると消費が少なくなる。消費しないと「経済がまわらない」と言われるけど、消費する物が上質でいいものに移動していくかもしれない。安価ですぐダメになる服ではなく、10年は着られる服を求める。そのために普段消費しないお金を貯めていく。そうしたいと思う。安い大量販売を変えていくのは消費者でしかないのかもしれない。

 

神楽はというと、これは変わらず伝わっている。神楽だけは昔ながらの伝統を守ろうとしている。岳も大償も男性だけが躍る神楽である。

うちの地域では女性が躍る率が高い。神楽を習いたい女性が多い.。じつはわたしも神楽を習っていた。ここ3年は町の家にいることが多くやめていたけど、身体が動きたがっている。「運動不足だから」という理由で4月から練習を再開したけど、ほんとうは踊りたかったんだな。3年ぶりだけど身体が覚えている。覚えるのは時間がかかるけれど、無の中に高揚する気持ち良さがあります。それでやめられなくなる。