胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

戦争が遺したもの

戦争が遺したもの

戦争が遺したもの

昨日予定していた仕事がキャンセルになったので、1日本を読んでいた。



戦争が遺したもの −鶴見俊輔に戦後世代が聞く−』鶴見俊輔上野千鶴子小熊英二 (新曜社)

鶴見俊輔が嫌ったもの。作られた人たち。自分で考える力がない。その時の体制になびいて優等生に振る舞う。自由主義なら自由主義に、ナショナリズムにならナショナリズムに対していい子に振る舞う。悪気はないのかもしれない。ただ単純なんだ。自分が一番になりたい。他の人より優位に立ちたいという願望がある。「作る人」ではない。でも、「作る人」にもなろうとはしない。そこに理想は置かないのだろう。組織の中での自分の位置を気にする。誰かに気に入られるとか、認められることで自分の価値が来ます。
上野千鶴子が「そういう学生多いですね」と答えているけれど、ますます多くなっているような気がしている。教育がそういうものを求めているから。「作られた人たち」を作っている。
だから、また「非国民」と人を蔑んで、自分はいい位置にいる人たちが多くなりそうだ。あの戦争を経ても日本人はほとんど変わっていない。
また、同じことを繰り返すだろうと、考えてしまう。

鶴見俊輔は、ハーバード大学卒業。アメリカで牢屋に入れられていたとしても、日本に帰らないでアメリカに留まれば、戦後日本でそれなりの地位を獲得したかもしれない。
「日本はもう、すぐにでも負けると思った。そうして負けるときに、負ける側にいたいっていう、何かぼうやりした考えですね。というか、勝つ側にいたくないと思ったんだ。この戦争についてはいくらかでもアメリカが正しいと思ったけど、勝ったアメリカにくっついて、英語を話して日本に帰ってくる自分なんて耐えられないと思った」

日本に戻った鶴見俊輔は、すぐに兵役につきジャワへ行かされる。

「勝ち馬にのりたくない」という鶴見俊輔の人気がわかる。自分が軽蔑しているものの尻馬に乗りたくない。うまく世を渡りたくないという、ヤクザナ心情。でも、育ちのいいボンボン性格が見えて好ましい。


それにしても、上野千鶴子が俳句をしていて、句集も出していたとは知らなかった。