胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

小林多喜二と施設火災

 ノーマ・フィールドの『小林多喜二』を読んだ。
 小林多喜二は『蟹工船』さえ読んでいないのに、名前や作品名を知っているし、拷問死したことも知っています。歴史の教科書に載っていたのだろうか。何かの記事を読んだのだろうか。『蟹工船』ブームと聞いてもなぜか読む気がしなかった。陰鬱で暗いだけの印象があったからかもしれない。
 ノーマ・フィールドの『小林多喜二』を紹介した『ジェンダーとメディア・ブログ』で下記のノーマ・フィールド氏のプロローグが抜粋されているのを読み、ぜひ読みたいと思った。「中産階級と称される物質的条件なしには、人間としての尊厳が確保されない社会」「生活が保障されない苦しみ」という言葉に感じるものがあったからです。
 中産階級。衣食住に困らず、文化的に過ごせて(海外へ行くとかではなく、少しの趣味と小さな近場の旅行と気に入った本が買えたりすること。)、病気になれば病院で診てもらえ、痛みに苦しまなくてもいいような生活が誰もが持てて、少し失業したり、病気になったり、障害を持ったり、老いても、当たり前に中産階級的生活ができることは、私の一番願うことです。確か、憲法25条で保障されているはずなのです。国民の健康で文化的な暮らしが当たり前にあることが。


私自身、中産階級的生活にしがみついてきましたし、今後も、絶対に、手放したくないと思っています。それはもちろん物質的なことを意味していますが、尊厳の問題でもあります。残念ではありますが、中産階級と称される物質的条件なしには、人間としての尊厳が確保されない社会に生きているからです。(中略)あなたはこういう想いを軽蔑はしないだろうと思います。少なくとも、切り捨てはしないでしょう。ご両親の体験でもある、生活が保障されない苦しみをあれほどするどく捉えたあなたはまた、文学だけでなく、映画や音楽というブルジョワ社会の文化的遺産の恩恵をたっぷり受けて、その素養をプロレタリア文学者、運動家として生かしもしました。(11-12頁)


 『小林多喜二』を読んでいた時に、群馬での老人ホームで10人が死亡した火災のニュースが流れていました。はじめは「防火体制が整っていなかった」「違法建築」という見出しが多かったのですが、だんだんに東京都の身寄りのない生活保護をもらっている人たちが集まっていた実態がわかり、他にも似たような施設がたくさんあることが示されてきました。
 以前から、生活保護の高齢者を預かる貧困ビジネスがあることは業界の人は知っていたはずです。今回の「たまゆら」という施設が貧困ビジネスだったかどうかはわかりませんが、低所得者の高齢者がどんな施設にいれられているのか、これをきっかけに明らかになればと願います。
 そんなとき、『小林多喜二』にあった多喜二の次の言葉が残りました。
 「小作人と貧農には、如何に惨めな生活をしているか、ということが問題なのではなくて、如何にして惨めか」を明らかにしなければならない。(P124)

 火災で死亡した高齢者(中にはまだ中年の障害のあった人もいました。)が「如何に惨めな生活」をしてきたかは明らかになるでしょう。でも、「如何にして惨めか」をどうひも解いくかが課題として私たちに残されているのだと思います。「如何にして惨めか」は、少し前の流行りでは自己責任論があります。年金をかけていなかった。まともな仕事をしていなかった。家族が支えてあげなかった。支えになるべき家族を作らずひとりでいた。「如何にして惨めに」なったかは自己責任の名において片付けられます。多くの人は「私は、ああはならない」と心の片隅で思います。
 でも、実際に現代で、先にあげたノーマ・フィールド氏の「中産階級と称される物質的条件なしには、人間としての尊厳が確保されない社会」で、人間としての尊厳が保てない人々が多くいることが個人の責任にかえせるでしょうか。憲法25条の水準はどんどん下がって、食べて生きてればいいというものになり下がっているのでしょうか。私たちに何も責任はないのだろうか。もっと憤らないのだろうか。
 群馬の火災事件を見ながら、小林多喜二の中にあった「「如何に惨め」であるかではなく、「如何にしてみじめなのか」を知ることが必要」(P152)、という思いが印象付けられました。そうして、絶望せず、諦めず、「何をなすべきか」(P152)を考えないといけない。
蟹工船』を若い人が読んでいるのなら、「如何に惨め」かに共感するだけでなく、「如何にして惨めか」をあぶり出していってくれたらと思います。そして私も。
 ノーマ・フィールドさんの『小林多喜二』は読みやすくて、インテリ青年の多喜二が身近に感じられます。そしていつも思うことは、なぜ人間は残酷になれるのか。何を守るために人を殺すのだろうか。あの時代の日本人が今の私たちの中に生き残っているような気がします。
(2009/03/26)

●『ジェンダーとメディア・ブログ』より
 「ノーマ・フィールドさんの『小林多喜二』を読む」
 http://d.hatena.ne.jp/discour/20090210/p1
 同ブログに、「小林多喜二はなぜ女性にとって近寄りがたいのか」という記事もあります。
 http://d.hatena.ne.jp/discour/20090213/p1




●群馬の老人ホーム火災の記事
 http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY200903250429.html
 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090325-OYT1T01271.htm?from=main3
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/security/20090304-OYT8T00318.htm?from=nwla
http://mainichi.jp/select/today/news/20090326k0000m040142000c.html