胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

軽トラ・ドライブ

やらなくてはいけないことがたくさんあるのだけれど、水曜日に山の家へ行ってきました。
 山の家に住んでいたときに、近所(といっても遠いけれど)の家に夏椿の大きな木があっていっぱい花を咲かせていました。沙羅の木ともいいます。欲しくなって、その木の下に生えていた実生を何本かいただいて植木鉢で育てた。
 盛岡へ引っ越すときも植木鉢を持ってきて、大きくなったので庭に移植しました。「なかなか大きくならないな」と思っていたら、先日ふと見ると「でかっ」と大きくなっています。このまま大きくなったら運べなくなるので、山の家に移植しようと掘って、軽トラに積み込んで山の家に行ったというわけです。
 写真は、途中休憩したとき撮った我が家のシンボル軽トラです。デジカメを忘れてきて、携帯で撮りましたが、山はまだ藤が咲いていて、朴の花、栃の花、蔓アジサイ、ノバラ、シシウドの花が咲いていて、大好きな白い花の季節でした。
 途中お店屋さんに寄ったら、おばちゃんたちがお茶飲みをしていたので私も一服し、昔話や今の話をしました。昔、保健推進委員を一緒にやったSさんとは久しぶりに話します。「よく、車乗せてもらって一緒に仕事したなぁ」「まだ、次郎ちゃんが赤ちゃんでおんぶしながら、会議に出ていたな」と懐かしがります。私も料理教室が一番面白かったとだんだん記憶が蘇ってきました。また、みんなと暮らしたいと思いました。「帰っておいでよ」とおばちゃんたち。しかし、おばちゃんたちがいなくなった村はどうなるのだろう。私が帰ってきてどうなるものかとか考えます。
「高齢者の仕事なら何かあるさ」と言われますが、食べていけるかどうかです。
 山の家に帰って、木を植え、草取りをします。家のまわりは牧草が伸び放題で穂が出て、私は花粉でくしゃみと鼻水がとまらなくなりました。まわりの牧草は、前は隣で牛を飼っていたのでじっちゃんが刈っていました。牧草地だけでなく、裏山の水源へ行く道や道路端などきれいに刈っていました。雪のないときは朝夕は必ずどこかで草刈機の音がしていたものです。じっちゃんは亡くなりました。牛を飼うのはやめました。息子さんは仕事があるので、じっちゃんほどは周辺の草刈りはできません。牧草地は牧場人に刈ってもらうことにしました。でも、その牧場も跡継ぎはいないので最近はなかなか人の土地まで刈りに来てくれません。忙しいのでしょう。歳で体力もなくなったと思います。子どもたちもみんなよその土地で仕事についたので牧場をやめた人もいます。
 誰が村の草を刈っていくのでしょうか。ジブリの映画で山形の自然の美しさをほめる主人公に地元の青年が「里山は人間の手で作られた」というようなことをいいました。山の家の村の美しさも人間の手が加えた美しさです。住む人間がいなくなったらもとの山に戻ればいいのですが、そう簡単に原生林にもどれません。荒廃した感じになるのは避けられないです。
 
 沙羅の木をもらった家にひさしぶりで寄って話したら、なんだか面白い話ができて畑で1時間も夢中でおしゃべりし、畑のアスパラをいただき、久しぶりに山に来てよかったと思う1日でした。


 そういえば、我が家に軽トラがあることをニュータウンの人は「なんで」とよく聞きます。息子のスポ少関係では「お父さんはごみ集め」をしているという話になっていたようです。スポ少の親は、公務員、先生、医者、銀行ばかりで自由業なんてうちだけです。それでもって、次男は兄のお古のジャージに安いボール、見た目にも他の子の物の良さは私にもわかりますが、はっきりいってお金はないので買ってあげられません。息子は肩身の狭い思いをしているかなと思いますが、不満を言ったことはないです。強がっているだけかもしれませんが、自分に自信のある子なので人に何言われようと平気なので、私も気にしないようにしました。はじめは嫌な感じしましたが、ごみ拾いでもいいじゃないと思いました。ボロイ軽トラは我が家の自慢の愛車です。