胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

仕事納め

 最近、土曜日のデイサービスでの仕事は、お風呂介助をしている。デイサービスでは、また人が辞めて人手が足りないので、バイトの私が手伝いに入っているのだ。お風呂介助は、ホールで利用者さんとおしゃべりしていたのとは違って、流れ作業のように黙々と仕事をこなしていくという感じである。足もとがおぼつかない人が多いので油断できないし、前に湯にのぼせたのか裸のまま意識が遠のいた人がいたので、本人が「まだ温まっている」と言い張ってもなんだか心配である。
 最後に車椅子の男性を洗うときは手も空くので、男性1人を3人ぐらいの女性が囲んで洗うと、「おれの人生にこんなにちやほやされたことないな」と冗談を言い、私たちも「ハーレム、ハーレム」と笑ってほっとする。今日も何事もなくて良かったねと仕事を終える。
 ある利用者さんが、「最近話を聞いてもらえないね」と声をかけられた。「ごめんね。お風呂にまわされちっゃったから」。何か、不満がたまっているのがわかるのだが、今日も話ができなかった。
 今朝の新聞の死亡欄に、前に訪問していた利用者さんが入院していたのだが、亡くなったと出ていた。90代の後半。大往生だ。「だんだん大御所がいなくなってさびしいね」とヘルパーさんたちと言い合う。確かに、90代の方々は面白い。たくさんのものを見てきたから話題も豊富である。食べ物のない中で教師をしていた人、満洲から引き揚げてきた人、ロシア人や中国人に親切にされた話など、なんんだかスケールが国際的だったり、生き抜いてきた力に感心する。そういう方たちが今年は何人か逝ってしまった。もっと話を聞きたかった。明治・大正生まれが消えていく、戦争の記憶も薄れていく。
 そんなことを考えながら、夕方は難病の利用者さん方を訪問し、お薬を飲んでもらい血圧測りながら、「来年も生きるのかな」という話をして、「まだまだ生きなきゃね」と、「来年またよろしく」と挨拶した。みんな年末年始はなんとなくさびしい。いつものヘルパーさんも休むし、一人暮らしだし、「早く来年になってしまえばいい」という気持ちだ。「ごめんね。私も年末年始は、自分の親の顔を見てこなくちゃ」、そんな言い訳をして私も仕事納めをしてきた。
 きちんとした給料と保証があれば、この仕事悪くないと思い、人にも薦められるのだけれど、それがないので辞めていく人も多い。私も来年には辞めなくてはいけないのだけれど、なんだか利用者さんと会えないのは寂しいなと情が移っている。出会いがあれば、別れが来るのだな。