胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

息子は便利です

 来年の今頃は、長男は家にいないはずである。県外の大学へ入り、家を出るように小さいころから言いきかせているので、どこかへ行くつもりである。よく「淋しくなるね」と言われる。たしかに淋しいとは思ので、「そうね。でも子どもはいつかいなくなるから」と訳知り顔で答えていた。心の中では、お弁当作らなくて済む、食事の量が半端ないので楽になるとか考えていたので、淋しくなるかどうかよくわからなかった。
 先週、ある絵画サークルの展示会に絵を出していた。日曜日の午前中は会場の当番で受付をした。その夕方は搬出なので、絵を取りに行かなければいけない。歩いて15分ぐらいのギャラリーだけれど、なんだか急に疲れて行きたくなくなった。そこで次男に指令を出す。「絵をはずしてきてちょうだい」。次男はパァーと行ってきて、「感じのいい人達だった」と報告してくれる。その時しみじみ思ったのだ。息子たちがいなくなったら不便だと。母は五十肩だからと言って、電球の替えから換気扇掃除までしてくれる、灯油も入れてくれる、米もといて、カレーぐらい作ってくれる、買い物へ連れて行って重いものは持たせる、山の家の雑事を手伝わせる、いなくなったら不便ではないか。そうだったのか、世の中の母が、子どもがいなくなって淋しいと言っていたが、本当は不便だということではないだろうか。この発見を息子に話したら、「たまに帰ってきて手伝ってやるから」と言われた。母も自分のことは自分でやるようにならないといけない。