胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

野施行

 震災のあと、俳句から遠ざかっていた。投句もせず、せっかく同人になったのに、脱落したようであった。もう、やめようかと思ったが、ぼちぼち俳句を作る気分になってきた。忙しいからといって、自分のやっていたことを捨てるのは良くないのではと思ってみた。
 遠距離の身なので、メールで参加させてもらう句会がある。
FAXで句稿が送られてきて、私も選句に加わる。

 ある方の句で、「野施行」という言葉が出て来て、わからなかった。広辞苑にも私の「現代俳句歳時記」にも載っていない。句会の選評を送ってくれる方に聞いたところ。冬に行なわれる行事のことであった。
 下記は、「野施行」について和歌山県の上富町のホームページに書いてある説明である。

生馬の有志の婦人たちは、いまも寒中の夜に集まり野施行のせぎょうをおこなう。三升三合三勺の米を炊いて、小豆飯や油揚げの小さい握り飯をつくり、それを神社の端や地蔵の横などに供え、木のかげやほら穴などにも置いて回る。狐や狸に与えようとするものである。

 これは、寒期に食べ物の少ないこれらの動物を思いやる気持ちの現れであり、また、寒中の自らの修行の意味も加わっているようである。

 野施行の握り飯をつくる時は、物を言わないものだという。一行は野施行と書いた提灯を二張ほど持ち、念仏を唱えたり、「お施行ですよ」と言って握り飯を置いたりしながら回り歩いてくる。

 この生馬の野施行には、俳人射場秀太郎氏の主宰する春風会の人々も参加するようになり、巡回が終って、生馬公民館で句会が開かれる習いになった。春風会編の『紀伊歳時記』(平成八年刊)には、「寒施行(穴施行、野施行)」の季語に「月連れて提灯つれて寒施行」(山田敏子)ほか十二人の十三句を並べている。

 野施行は、寒施行ともいい、一般の歳時記にも季語として出ているところをみると、全国的にこの行事のおこなわれる所のあることが知られる。

 雑賀貞次郎編『牟婁口碑集』(昭和二年刊)によれば、田辺でも以前旧家や富豪の家などで野施行をおこない、磯間の日吉神社、神子浜の神楽神社、湊の蟻通神社、稲成の稲荷神社、その他堤防などに、握り飯に油揚げを添え置いてきて、狐に施すものとしたということである。その後、日蓮宗信者におこなうものがあり、これを施行する際、法華経を唱えたという。

 上富田で生馬にだけ野施行がおこなわれてきたのは、町内一般に行われていたのがここだけに残ったというよりも、生馬地区にだれか提唱する人がいて始まったことかもしれない

 もう少しきちんとした歳時記を買わないといけませんね。知人の説明では、「寒い時期に山の獣たちが飢えて、里に下りて来て鶏を襲ったようにしないように、食べ物を里のはずれのお地蔵様の所とかに置いてくる行事です」と書かれていた。里と山の見えない境界線がひかれて人間と獣が暮らしていた。今では境界は崩れてしまったということなのかもしれない。