胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

小さいおうち

小さいおうち (文春文庫)

小さいおうち (文春文庫)

直木賞受賞作を読んだことがないけれど、映画を観たいと思っていて(黒木華が好きなので)、見逃した。東京行きの新幹線に乗る前に本屋さんで読むものはないかと探していたら、この本が目に飛び込んできて、手に取る。表紙がかわいかったからかもしれない。映画の宣伝を観ていて、恋愛の話かと思ったら、そうではなくて恐いお話でした。
 太平洋戦争に突入する家庭での国民の暮らしぶり。主人公は、裕福な家庭の女中だが、奥様もだんな様も悪い人ではないのに、誰もすぐそこに戦争が近づいているとは知らなかった。作中でも、主人公が書いた私記を読んだ甥から「呑気なことを書いている。この頃日本は負け初めていたんだろ」というようなことを言われる。でも、仕方ない。マスコミは何も報道しなかった。神の国は勝つと国もマスコミも言っていた。アメリカ好きだった玩具会社の社長さんも翼賛政治にはまっていく。
 まるで、現代の日本を見ているようだ。ぞっとした。

 主人公がすっかり戦時色一色の東京の町の中で、最初に奉公した作家の小中先生と偶然会い、お茶に誘われる。そこで小中先生は次のように話す。たぶん、もと女中で賢い主人公にしか言えないことだったのだろう。うっかり誰かに話せば、「非国民だ」と足を引っぱる輩が多いからだ。

「なにがどうというんでもないが、僕だって、一生懸命やっている。僕だって、岸田だって、菊池だって、よくやっている。国を思う気持ちも人後に落ちないつもりだ。しかし、その我々をすら、非難する者があらわれる。文壇とは恐ろしいところだ。なんだか神がかり的なものが、知性の世界にまで入ってくる。だんだん、みんなが人を見てものを言うようになる。そしていちばん解りやすくて強い口調のものが、人を圧迫するようになる。抵抗はできまい。急進的なものは、はびこるだろう。このままいけば、誰かに非難されるより先に、強い口調でものを言った方が勝ちだとなってくる。それはしたくない。しかし、しなければこっちの身が危ない。そんなこんなで身を削るあまり、体を壊すものもあらわれる。そうはなりたくない。家族もある。ここが問題だ。悩む。」

 それから、小中先生は「マドリング・スルー」とつぶやく。

「マドリング・スルー。計画も秘策もなく、どうやらこうやらその場その場を切り抜ける。戦場にいる時の、連中の方法なんだ。このごろ口をついて出てきてね。マドリング・スルー。マドリング・スルー。秘策もなく、何も考えず」

 muddle through 辞書によると、ごまかしごまかし何とか切り抜ける、とあります。まさに今の政治や原発問題のこと。ごまかし進んだ先になにがあるのだろう。その頃には自分たちはいないから、誰かがどうにかしてくれると思っているのかしら。責任は誰も取らないままスルーしていき、今がある。

 最近、日本の小説を読んでいませんでしたが、気概のある女性として中島京子氏のファンになりました。