胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

食べごしらえおままごと

食べごしらえおままごと (中公文庫)

食べごしらえおままごと (中公文庫)

 昨日、息子が「ジュンク堂へ行ってくる」と言うので、「あったら、買って来て」と頼んで買ってきてもらいました。午後、マンションのベランダで「船っこ流し」の花火を待ちながら、いっきに読みました。

 なんとも上品な世界が広がる。おとぎ話のよう。
 上品な世界は、過酷な労働と共にあるのだが、
 人間存在の自信のようなものがある。
 
 著者もなつかしがってばかりはいない。
 女たちの労働時間の長さ。本ひとつ読む暇もなく、家族に尽くした。
 電気釜の便利さにありがたく思う。

 それでも、すこし便利になりすぎた。
 食べ物の味がわからなくなった。


 煮しめを作って、あんを練り、餅をついて、隣近所にふるまう。
 これは、自分のところで野菜も豆も米も生産していたから、できたことだろう。
 スーパーで買えば、何十人分もの材料費は高くつく。
 家族が食べる分だけ作る。
 お裾分けは、土に続く所作だったのではないだろうか。

 親戚もいない土地で暮らす私たちは、お盆は山の家で家族だけで過ごす。
 久しぶりに集まれば、ジンギスカンだ。

 お盆最後の日は、マンションに戻ってきて、朝市で野菜を仕入れて、
 ラタトゥイユを作る。
 玄米を炊いて、鶏のもも肉を焼き、大きなワンプレートにラタトゥイユをかけておしまい。
 作ってから、ビールを飲み本を読み、花火を見る。

 自由な時間があるのは、うれしい。
 でも、なまけものの自分とお裾分けする人もいない自分は少しさびしい。