胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

忘れた友達

千葉に帰省した折に、大学時代の友人と会った。
去年、その友人Eさんから山の家に電話があった。
共通の友人から、私の電話番号を聞いたとのこと。

そして、電話して、フェイスブックでもお友達になってつながった。

Eさんは、私の学芸大学のアパートに泊まって、私にお世話になったと言う。
ところが、私はEさんのことをぜんぜん覚えていない。
Eさんだけではない、大学の友人は数名だけ名を覚えているが、後は記憶していない。

転々と引っ越しているうちに、年賀状のやり取りもなくなり、住所録をなくし、そのままにして消えていった人間関係ばかり。

顔も覚えていないEさんと会って、大学の時の私を聞きたいと思った。

有楽町の無印良品のカフェで会い、長い時間話をした。
話をしたら、思い出すかと思ったら、ぜんぜん思い出せない。

でも、彼女は私が瀬戸へ焼き物修行へ旅立ったところまで知っている。
友人たちの間では、そこから私の消息が消えたようだ。

大学時代に私が冊子を作っていたという。
もらったと。
たしか、卒業に向けて記念冊子を編集した。
完成パーティで教授が「編集長が女性か」と言ったので、むっとしたけど自慢に思った記憶もあるが、冊子は手元にない。
その卒業文集かと聞くと、「そうじゃない」と言う。
他に私が何か作ったことがあったのだろうか。
彼女が勘違いしていることがあるのではないかと思った。
他の彼女の記憶も私にはない。
彼女の四谷のアパートをしばらく私が借りたという。
んー覚えがない。

でも、彼女の言う冊子って、詩の同人誌のことかもしれないと、さっき思いついた。
その頃、夫の友人で山の家に遊びに来る詩人のSさんを中心に詩の同人誌を作っていたことを思い出した。私が作っていたわけではなく、参加していただけ。その同人誌を渡したことがあったのかもしれない。

彼女の記憶は、案外正しいのかもしれない。

でも、詩の同人誌を渡したということは、その時、Eさんと好みが似ていたということだ。まわりの人に配ったわけではないはずだ。

いろいろ疑問は残るけど、お話してみて、その趣味や雰囲気からして、私の友達なのだ。

記憶には残っていないけど、東京に新しい友達ができてうれしい。

それにしても私の健忘症はひどいものがある。
解離性の健忘症なのだろうか。
東京のことを思い出すと、ホームシック強くなって鬱になるので、忘れようとして岩手で生きてきたからなのだろうか。

過去を思い出しても仕方ないが、あの大学時代からと自分は何も変わっていないなと確認したようなEさんとの出会いだった。