胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

高台にある家

高台にある家 (中公文庫)

高台にある家 (中公文庫)

 知り合いが、寝食忘れて読んだという本の話をしているのを聞き、読みたくなった。水村節子の『高台にある家』と水村美苗の『母の遺産―新聞小説―』である。水村美苗は前から読みたいと思っていた。水村節子は美苗の母で、70代で『高台にある家』を書いた。2冊あわせて女3代の物語となると言う話だった。
 まず、『高台にある家』が手に入ったので読み始める。すぐに物語に引き込まれる。小説の中の時代は私の生きた時代より古いのではあるが、なんだか見覚えのある風景や親族や得体のしれない人々なのだ。
 主人公の節子は、お金持ちの伯母の高台の家へ預けられるのを皮切りに、小説の登場人物は預けたり預かったり、助けたり、裏切ったりする。こんな風景は、私の小さい頃もよくあったと思いだした。
 私も幼児の頃、赤ん坊の弟が生死をさまよう病気のため入院した時、王子のおじさん(祖父の従兄弟だったか、母の弟もこのおじさんのもとで働いていた)という家に預けられた。母方の親せきの中では成功者のおじさんだ。私は何も覚えていないが、飛鳥山公園でよく遊んだと聞いていたからなのか、東京へ向かう新幹線から飛鳥山公園が見えると、懐かしく感じる。何かかすかに覚えているような気もする。いいお洋服も買ってもらったらしい。
 母は6人兄弟だが、もう一人預かっている子がいて、一緒に育ったはずだが、今はどうしているのだろう。一緒に育てられたのに、本当の兄弟とは別扱いだったようだ。そもそも、死んだ父親も親戚に預けられて育った人だ。夫は、幼い時に母を亡くし、一時女中さんに育てられている。けっこう昭和には、育てられない時に親族に預けたり、また戻ったりして誰かが面倒をみてくれた。また、女中さんもいたりして、その人は今でいうヘルパーさんではなく、愛着を持てる人で、夫は今でも葉書のやり取りをしている。
 そうして、親族や女中さんに育てられるのは、いい話ばかりでなく、暗い影もあり、覗いたらいけない大人の事情というのもあったりする。
 そんなことも今では少なくなってきたのだろう。無縁社会というように、親族ネットワークは弱くなっている。
 それにしても、この本を読んだらどっと記憶が蘇ってきてしまった。小さい時に出た豪華なホテルでの結婚式、父の祖父母のこと、東宝のニューフェースだったというあの人、自分のルーツ、大人達のひそひそ話。実は暗い闇があることは承知で見ないようにしていた。それが噴き出しそうになったので、また重石をしてしまった。
 感傷に浸っている場合ではない。今日から仕事。どんなものを背負っていても今を生きるしかない。つくづく現実的な自分は小説家にはなれないのだな考えた。

 このまま水村美苗の『母の遺産』を読んだら、母との葛藤までが隠せないものになってしまいそうなので、ひとまず図書館から借りて来た『日本語が亡びるとき』(水村美苗著)を読みはじめた。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で