胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

かんころ餅作る

かんころ餅を作りました。
かんころ餅は、九州対馬方面の伝統食です。

もち米と干し芋を蒸し、生姜と砂糖を入れて搗きます。

夫の継母が対馬の出身で、お正月に夫の実家へ行くと、手作りのかんころ餅を食べさせてくれました。義母の実家から送られてきたものです。
いつからか、お正月に見かけなくなったので、対馬の実家でも作らなくなったのかもしれません。

夫と「あのお餅懐かしいね」と話していて、ネットで調べてみると、作り方がたくさん出ています。それで、干し芋を買ってきて作ってみたわけです。

すり鉢で餅搗きをしたので、米粒が残っています。
でも、切り餅にして焼けば、懐かしいかんころ餅の味がしました。

ただ、義母が食べさせてくれたかんころ餅には、ゴマが入っていました。夫は「もっと赤い色だった」と言います。芋の種類が違うのかもしれません。もっと芋の量を多くしたほうがいいかもしれません。


対馬から北国に嫁いできた義母。
そこには、日本統治下の朝鮮で働いていた日本人同士のロマンスがあったようです。戦争で離ればなれになり、お互い一度は結婚したけど、いろいろ事情ありひとりになり、もう一度再会した。
でも、晩年は義父と仲が悪くて、朝鮮時代の話を聞こうとしても「ふん」と鼻であしらわれました。
義母は、なんでも九州のものがいいと言います。魚も椎茸も九州が美味しい。三陸の魚を食べませんでした。私たちには豪勢な刺身を作り、あら汁を作るのに、自分は口にしません。三陸の魚は下のもののようです。
椎茸のどんこも九州から取り寄せていました。ここ地元も椎茸の産地なのですが。
いろいろエピソードが多く、なかなかの女性ですが、3.11で家は流され、今は施設に入ったと思ったら、骨折して病院にいます。

亡くなったら、自分の骨は対馬に持っていってほしいという希望です。
対馬の親戚も了承して、死んだら対馬に帰れるのです。

対馬、義母の中では童話のように美しいところだったようです。