胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

映画『ペトルーニャに祝福を』

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ペトルーニャに祝福を」 2019年

 監督:テオナ・ストゥルガル・ミテフスカ

 主演:ゾリツァ・ヌシェヴァ

 

 北マケドニアの小さな村で、川に投げ込んだ十字架をいちばんに拾った人に幸運が授かるという行事がある。その十字架を女性である主人公が拾ってしまったことから起こる騒動。

 祭に参加する若い男性たちは、キリストの名のもとに女性を貶める。新約聖書を読むと、キリストはけっこうフェミニストであるが、弟子や後継者たちによって家父長制の色をつけられていった。この若者たちに道理を説いてもわからない。熱狂的なまっすぐな自分が正しいと思っている馬鹿だから。たぶん、身内には優しい善き人たちだろうし、友だちとしても面倒見がいいだろう。良い人たちだから、すぐに騙されやすくて熱狂しやすい。どこにでもいる青年たちである。日本だとヤンキーといわれる。反抗的に見えるけど、強いもの体制には従順である。

 司祭はもう少し物分かりはいい。十字架をいちばんに取ったのは女性だと認める。女性から十字架を横取りする男性たちをたしなめる。でも、この出来事に戸惑い、群衆と上からの指示の板挟みになる。

 警察署長も困る。犯罪ではない。慣習を破っただけだ。でも、警察職員のほとんどは女性蔑視だ。

 家族も戸惑う。世間体を気にする母と娘の絶対な味方の父。

 市民は、宗教なんかに興味がない。もっと他にやらなくてはいけないことがあるだろうと思う。

 女性キャスターは、これはジェンダーの大問題だ。マケドニアは古代かと憤るけど、上司はたいしたニュースにはならないと考え、取材の打ち切りを伝える。

 主人公は、計画的に起こした慣習破りではない。大学で歴史を勉強して優秀だったのに仕事がない。太っているからモテない。いまだに親に依存して暮らしている。むしゃくしゃして、つい川に飛び込んだのだ。

 でも、十字架は彼女に力をくれた。彼女に十字架は必要はない。自分の足で歩きだしていけそうなラストだった。

 

公式サイト

petrunya-movie.com