胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

山の幸はどこに

 山の家に帰ったときに、薪を割っている隣のおんちゃんと話す。
「この間、そこの畑に熊が出た。そっちに行ったようだ」
「去年だって、家の脇の山椒の木の下に熊のうんこあったよ」
「そうか、気をつけろよ。昔は熊は山の奥に行かないと出会えなかった。最近は山の奥にいなくて、里にいる」
「山の奥に食べ物なくなったからだよね」
 去年、もう一方の隣のばっちゃんの庭の桃の実がいいように熟したと思ったら、夜のうちに熊が食べていった。枝も折るし木も駄目にして行った。種はちゃんと地面に吐き出していた。
昔、庭の成り物に熊が手を出すなんてことはなかった。

「午後は釣りに行くかな」
「熊に気をつけてね。久しぶりに岩魚食べたいな」
「今度来る時は、前の日に電話するべし。午前中に釣って来るから。食べるべし」
 炭でじっくり焼いた岩魚の塩焼きが好きで10匹ぐらい食べられる。
「そういえば、ここらへんは川魚食べていいんだっけ」
「知らんよ。山菜も茸も食べない方がいいというけど、俺は食べている」
「私も食べているよ。まぁ、私たちはいいよ。もう死ぬだけだからね」
「目の前にあるのに食べない訳にいかないじゃないか。熊の食べ物はなくなる。人間の食べ物は放射能だと、これからどうなるんだ。これからの若い人は大変だ。どういう世の中になるんだ」
「本当に。薪ストーブの灰も畑や庭に撒いてはいけないんでしょう」
「俺は知らん」
「私も撒いている」

 ここが福島で、おんちゃんを家から離して避難させたら、すぐにアル中か鬱になってしまいそうだ。魚釣らず、薪割らず、山菜採らないで生きるなんてできない。

 ずいぶん前に友人に『チェルノブイリからの風』(本橋成一)という写真の本をもらった。大地からの幸がテーブルに並ぶ。ぜんぶ放射能に汚染されている。避難地域にお年寄りたちが住んで、森の幸を採り、畑を耕す。汚染されているものを食べているので、身体の調子も悪くなっているという話も聞いたことがある。それでも昔からの生活は変えれない。避難するより、小さい頃からなじんだ生活を選んだ。
 しかし、まさか日本で同じことが起こるとは思わなかった。目の前の森も川も汚染されて、食べない方がいいと言われているのだが、現実感がない。この現実感のなさはなんだろう。もう諦めているのかもしれない。諦めたくなくても何をしていいのかわからなくて、全てなかったことにしているような、現実感のなさ。
 除染に励む人たちを見るとえらいなと思う。この森すべて除染できない。もっと怒ってもいいのではないだろうか。私たちは。