胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

最小単位としての人間が辱められている

 ラジオで、福島にある原発の再稼働の可能性を語っていた。
 NHKニュースを聞いていると、怒りがわいてくる。

 

 報道関係者は胸が痛まないのだろうか。
 あまり考えると、胸が痛みすぎるのでうつになるので、多くの人は何事も気が付かないように生きていかないといけないのだろう。希望やポジティブシンキングで。
 
 石牟礼道子氏の文章は、救いでもある。悲しみの底に沈みそうな気持ちのなかで、まだ自然だけは信じようという気持ちになる。

 水俣の母が、チッソの社長に「あんたも人間だろうが」と言葉を放つ。同じ人間だから、わかるというのは幻想なのだろうか。水俣の反省もなしに、福島も反省せずに、何にとりつかれているのだろう。

 本当に悲しくなる。笑えなくなる。
 息子たちにこれからの子どもたちに申し訳ない気持ちになる。
 今まで、何をしていたんだと。

 とにかく、この毎日の日常を生き抜くこと。