司馬遼太郎の思い
有名な司馬遼太郎を読んだことがありませんでした。よく経営者が愛読書にあげていたり、ドラマなどを見ると戦いが好きなおじさん好みの小説かと思い、手に取らなかったのです。しかし、下記の「知の巨人シリーズ」を見て、司馬遼太郎の戦争に対する思い、敗戦後の反省、朝鮮への親近感やアジア好きなどを知りました。
テレビは、下記の司馬遼太郎の言葉から始まります。
自分にとって敗戦というのは、なんて言いますか、ショックでした。
なんとくだらない戦争をする
そしてくだらないことを
いろいろしてきた国に生まれてきたのだろう。
一体こういうばかなことをやる国というのは、何だろう
そういうことを考えて、歴史を勉強していったらしいです。
また、終戦間近に栃木で本土決戦を覚悟していた司馬遼太郎がショックだったことがあったそうです。
もし敵が上陸したとして、
「われわれが急ぎ南下する。そこへ東京都民が大八車に家財を積んで逃げてくる。途中、交通が混雑する。この場合はどうすればよろしいのでありますか」
と、質問すると、
大本営から来た少佐参謀が、
「軍の作戦が先行する。国家のためである。轢っ殺してゆけ」と言った。そこにいる女の子や小さな子が真っ先に死にますでしょう。
私は死ぬために威張っていられる、軍人、兵士は。
ところがみんなのために死ぬのではなく、みんなが先に死ぬ。
何だろうと思った。
軍が国民を守るというのは嘘ですね。沖縄戦でもそうでした。下手すると民を盾にしかねません。
「司馬史観」というのがあるそうですが、ご本人は「自分は小説家」と言って、史観という言葉は嫌ったそうです。アジアへ対して何千年でも謝り続けなくてはいけないと言っています。