胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

お母さんってものは

〈だいたいおかあさんてものはさ
 しいん
 としたとこがなくちゃんだ〉

               茨木のり子

 昨日の朝日新聞の「折々のことば」より

 こう言い放ちつつ、ランドセル揺らせて通り過ぎる2人の少女。「名台詞」と喝采したあと、母だけじゃないよと詩人はつぶやく。何が起ころうと動じずに呑み込む。哀れに思っても手を出さずにじっと見守る。灯台のようにいつも同じ場所で待つ。その静けさは、人として底知れぬ寂しさに養われるものなのかも。 詩「みずうみ」から。


 先日雨が強く振り、車で息子を迎えに行った。息子は高校3年生。受験生。国立の志望校はだいたい決めている。
 車の中で、滑り止めの私大とか決めたのか、聞く。
 兄が国立しか受けず、落ち、センター入試(センター試験の点数で合否が判定される)なるもので某大学に滑りこんだ。結果はオーライで、楽しく勉強している。
 兄の二の舞になるかもしれないので、私大も考えておくようにと。
 そうしたら、
「お母さんは考えなくていいから、おれに任せて」
と言われた。
 そうだね、今の受験システムもわからない。
 そうしてわが家に経済力ないことも、息子たちはわかっている。私大を受けに行けば、お金がかかる。だから、センター利用でと考えている。
 息子なりに、自分の実力とお金のことを考えているのだ。
「ちゃんと先生に相談しているから。担任は受験のプロだから」と言う。

 はいはい。母は、黙っています。考えてもわからないものね。
 親が口出すのは、子を思ってというより自分の希望だったりするからね。私も私大なら、自分の母校ぐらいには行って欲しいなんて実は思っている。
 でも、私の人生ではないのだ。
 私は自分のことで精いっぱいなので、何が起ころうと受け入れて、ご飯を作るだけです。



だいたいお母さんてものはさ
しいん
としたとこがなくちゃいけないんだ

名台詞を聴くものかな!

ふりかえると
お下げとお河童と
二つのランドセルがゆれてゆく
落葉の道

お母さんだけとはかぎらない
人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ちついて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

早くもそのことに
気づいたらしい
小さな
二人の
娘たち
          (茨木のり子『落ちこぼれ』から「みずうみ」理論社