胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

君は隅田川に消えたのか ―藤牧義夫と版画の虚実

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

君は隅田川に消えたのか -藤牧義夫と版画の虚実

駒村吉重の『君は隅田川に消えたのか』。今回は買って読みました。
駒村吉重の本の中で、一番面白かったと思います。
まさにミステリー。どうなっているのかと読むのがやめられませんでした。
でも、真相は闇の中。
ある人物への疑いだけが残ります。

主人公の藤牧義夫は、洲之内徹の『帰りたい風景』の「中野坂上のこおろぎ」を読んで覚えています。
須之内徹が「絵だけの絵というものの凄さ」に感嘆し、旋律を覚えた藤牧義夫の「隅田川絵巻」。
その絵のことを須之内徹は、
「絵巻はどの部分をとっても、はっきりした視角と、その視角に基づく構図を持っている。しかも、視点は随時移動するが、ひとつの構図は次の構図と有機的に組み合わされ、それぞれが同時に他のそれぞれの要素になり、場面と場面の継ぎ目を全く見せないでいつのまにか場面が変っていく。その不思議さと見事さ。」
と説明しますが、文庫本に印刷された絵を観ても「その不思議さと見事さ」がわからなくて、もどかしい思いをしたので、藤牧義夫の話はよく覚えていました。
このもどかしさは、『君は隅田川に消えたのか』を読んでも解消されません。本のカバーになっている絵を開いて見るのだけれど、その不思議さがよくわからない。本物を観てみたいと思います。

中野坂上のこおろぎ」では、洲之内徹が「かんらん舎」の大谷さんと隅田川沿いを歩いて楽しく話は終わるのですが、実はふたりともある疑いを持っていたのです。
そのことは、洲之内徹もあとから書いていることを本書で書いてあります。それも読んでみたいです。

しかしこれって、スキャンダルではないの。でも、もうみんな死んでしまって本当のことはわからないということですが、憤りを感じます。
ある人物の作話癖は癖というより、悪意や自己保身が見える。何を守ろうとしていたのでしょうか。

最後のページにある藤牧義夫の写真を見ると、シティボーイです。田舎から出てきて貧困にまみれた版画家というイメージはありません。
この写真を見ると、同じようにデザインの仕事もしていた辻まことが銀座(だったか)を仲間と歩く写真を思い出します。シティボーイで町を謳歌している青年の姿。
辻まことも孤独や自然への憧憬を抱えていましたが、かっこいいシティボーイでした。センスもいい。おしゃれです。
牧義夫もデザインの仕事をしていたのなら、あの時代の最先端の若者で、おしゃれで垢ぬけていたのではないでしょうか。
駒村吉重もそう気が付いたのでしょう。
垢ぬけない田舎くさい人物は、小野忠重だったかもしれない。
小野忠重が作りあげた藤牧義夫を本来の藤牧義夫にもどすことが少しでもできたことで、この本で藤牧義夫も浮かばれると思いました。