洲之内徹
去年から洲之内徹を読み続けていた。ブログ「胡桃の木の下で」の方でも書いたが、長谷川潾二郎の画文集を観て、感心したのがきっかけだった。
ずっと気になって『気まぐれ美術館』を買っていたのに、読んでいなかった。慌てて山の家の本棚から探して読みはじめ、『絵のなかの散歩』『帰りたい風景』と読んでいき、今日読み終った。
最後に山崎省三氏のあとがきを読んでびっくり。
洲之内徹の現代画廊は、西銀座から東銀座の松坂屋の裏手に移った。そこの地下に「TARU(樽)」というバーがあると書いてあった。
私はそのバーに行ったことがある。
編集者のOさんが自慢げに連れて行ってくれた。旧式のエレベーターも見せてくれた。
だから、洲之内徹が金属の柵をガラガラひく、映画に出てくるパリのアパートにあるようなエレベーターの話を読むときには、銀座のあのビルのエレベーターを思い出していた。
そうしたら、そのエレベーターそのものだった。
「TARU」は今では移転しているようだけど、値段も手頃だったので、私は何回か自慢げに友達を連れて行ったことがある。オムレツが美味しかった。オムレツを作るのをカウンターから見せてもらい、料理する人と話しもした。私の中のオムレツは「TARU]のオムレツなのだ。
洲之内徹が亡くなったのは、1987年。私が銀座をウロウロしていた頃だ。
でも、自分が焼き物をやるまでは、あまり絵には興味がなかった。
洲之内徹の文字はよく目にした。
宮城県立美術館に棟方志功展を観に行った時か、「洲之内コレクション」の案内は見たのに、時間がないからと観ないで帰ってきた。
なんだか美術評論家の書いたものは難しいという先入観で敬遠していたのだ。
余談だが、受験生の息子が現代国語のテストで評論の読解をやる。今は過去問をいっぱい解いている時期だが、一番みんなが苦手なのが美術評論だそうだ。何を言っているのかわからない。答え合わせをしている先生も「よくわからない」と苦笑いをするそうだ。
そういう訳で、須之内徹を避けてきたのは、もったいないことをしてきたのかもしれない。
でも、今だから惚れたので、若い頃知っていてもそうでもなかったのかもしれない。
千葉に松田正平アトリエ館というのがあるらしい。今度帰った時に行ってみよう。宮城県立美術館へも行ってみなくちゃ。