梯久美子『原民喜』、原民喜『夏の花』
梯久美子著の伝記をもう1冊読む。原民喜。名前は知っているし、広島と関係していることもなんとなく知っている。学校で習ったのだろうか。そのあまりに繊細で、でくの坊的な生き方に、なんというかびっくりする。
戦前だろうが現代だろうが、世の中はうまく立ち回らないといけない。仕事はできるように見せないといけない。釦を100個数えるのも早く正確にと考える。仕事をやっている感を見せなくてはいけない。
わたしは小さい時から「のろま」と言われた。動きがスローモー。ゆっくりしている。たぶん、小学生の時はいっさい勉強しなかったし、知的に低いと思われていたかもしれない。中学生のとき、深夜放送でビートルズを聞いて、なんだかスイッチ入り英語が好きになり勉強というものを自主的にするようになった。テストの点が良くて、まわりが驚愕していたからバカだと思われていたのだ。
でも、だんだんとでくの坊的に生きるのは難しくなる。花に見とれたり、本ばかり読んでいてもだめ。先生からは「本ばかり読んでいないで、友達を作りなさい」と言われたっけ。親にも「洗濯しながら本を読むなんて。子どもができたら本なんて読めないよ」と怒られた。
しかし、いろいろ言われたけど、相変わらず本ばかり読み映画みて友だちはいない。それでも年を取ると世間知は身に着け、仕事ではできる人だと思われている。でくの坊でいることができない世の中である。でくの坊であり続けるために病気とか障害ある当事者になりたかったけど、がんらい丈夫なので無理だった。
原民喜は死んだ。これ以上世間に合わせて、食べるために稼ぐこともできなかったのだろう。広島を書くために少しの間地上にとどまっただけなのかもしれない。