胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

マーガレッド・アトウッド『侍女の物語』『誓願』

侍女の物語』 マーガレット・アトウッド斎藤英治・訳  (早川書房)

誓願』 マーガレット・アトウッド鴻巣友季子・訳  (早川書房)

 

新春に放映されたNHKの「100分deフェミニズム」をみた。そこで紹介された本でマーガレット・アトウッドを読んでいなかった。評判は聞いているし、ドラマの予告も見て見たいとも思っていた。

図書館へ行ったら『侍女の物語』があったので借りて夢中で読み、つづけて『誓願』も借りて一気に読む。ホラー味もあるサスペンスで人間の欲望が描かれている。(テレビで人気が出て借りられているかと思ったけど、だれも借りに来ないというのも寂しい。田舎だからフェミニズムの番組なんて見る人いないのだろうか。)

侍女の物語』から33年ぶり2018年に発表された『誓願』を1週間で読んでしまったということになる。33年前より今のほうがより近い世界がとなりにあることを感じるので、怖さが増していると思う。

 

誓願』の「訳者のあとがき」に、

アトウッドはつねづね、「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」と言っている。

とあるが、昔も今も世界のどこかであることかもしれないのが、この本の余計に怖いところである。議会を襲って政府を転覆しようとする行為は最近みたような光景。そのときに人々は神の言葉を口にする。本の中のギレアデも神に忠実だ。キリスト教を基にしたギレアデの宗教。改竄された聖書。本物の聖書を一般人は読むことが出来ない。そこにはイエスはもういない。

なんだか去年から騒がれている某宗教団体を思い出す。そういうわけで、全体主義に転げ落ちるのは早く、人々は残酷さにも慣らされていく。

 

大勢の群衆のなかに消えていくほうが良いではないか。信者面をして猫なで声で褒めそやし、ヘイトを煽る群衆のなかに。石を投げつけられるより、投げる側にまわった方が良い。少なくとも、生き残る確率を考えれば、その方が良い。(P251)

そういうことなのだ。いつの時代も。