胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『歌集 小さな抵抗ー殺戮を拒んだ日本兵士』渡部良三著

 

『歌集 小さな抵抗 ー殺戮を拒んだ日本兵』 渡部良三 (2011 岩波書店)

 

 キリスト者である著者は学徒出陣で中国へわたる。新米兵士に根性をつけるため捕虜の中国人を殺す訓練をありがたくもあたえると上官はいう。筆者は迷いつつ、さいごに拒否する。自分も殺されるかと思ったが、待っていたのは凄惨なリンチの日々だった。

 それにも耐え、日本に帰国するのだが、メモや日記の類は日本に持ち込めないので、キルティングの衣類のなかに兵士だったときにつくった歌をメモした紙を隠して持ち帰る。

 それを発表したのは定年後だった。

 なかなか思い出すのも辛く、まとめられなかったそうだ。

 たしかに捕虜を殺すのは拒否したが、その後の村々の略奪虐殺強姦にただただ何もせずに傍観していた責任を感じている。彼一人で何ができるわけでもないけど、見てしまったことは忘れられない。

 

  今朝戦友(とも)と掘り上げたりし大き穴捕虜の墓穴とは思いよらざり

  

  人殺し胸張る将は天皇(すめろぎ)の稜権(いつ)説きたるわれの教官

 

  人殺し笑まいつくろう教官の親族(うから)おもえば背(せな)冷え来ぬ

 

  深ぶかと胸に刺されし剣の痛み八路はうめかず身を屈(ま)げて耐ゆ

 

  

「捕虜虐殺」の章からあげた歌だが、虐殺前後の様子がえんえんと描かれている。

 天皇の名のもとに威張る上官、尻込みする新兵、迷う著者、命乞いをする捕虜の母、堂々と殺される中国の人。地獄のような光景に信仰と神を思う。

 

 次は、「〈講演記録〉克服できないでいる戦争体験」からの引用である。

P245~

 現代は殺人に対して全く心痛みを覚えない風潮にあり、戦争中の虐殺を語っても耳をかす者は数少ない。私の経験が「五人の捕虜を虐殺した」と言うと「何だたった五人か」という表情をありありと見せる。殊にジャーナリストの世界に多かった。虐殺演習の後、八路の女密偵の拷問を見せられ、通信兵となる為に転属する朝は、朝鮮人慰安婦の急死と聞かされた出棺を見た。通信兵となって出動させられた討伐行では、八百名のうち五百名近くが戦死傷する激戦、負け戦を経験するが、その前後には、村という邑(むら)、町という街を一軒残らず焼き払う「燼滅作戦」の三昼夜、又戦闘終了後の掃討では老若男女を問わぬ皆殺しを認(み)ることとなった。生命乞いがあろうと、抗日を叫ぼうと、眉間に銃弾を撃ち込む皆殺しである。略奪強姦は、兵隊同士が互いに見張りをし、獣欲を果たせば撃ち殺し、隠れていた老人が火達磨になって逃げだしてくれば、さんざめきの中に銃を撃つ。先祖伝来の家を目の前で焼かれ、一族の眼間(まなかい)で娘や妹が強姦されてあげくの果てには銃殺される、誰が忘れ得よう。一族かたみに語りつぎ、孫子の代迄忘れる事はないだろう。忘却を美徳とする日本と日本人の習わしを、中国の政治家等が、恨みをこめて口にするのも大戦中の上記のような「天皇の軍隊」の行動を、民衆の声からくみ上げ、政治外交の根底に据えているからと考えるべきではないだろうか。」

 わたしたちもこんな目に合わせられたら孫子の代まで恨みが残るだろう。謝りつづけなくてはいけないのは普通のことだと思うのだけど、ユダヤ人虐殺に怒る日本人は、中国での朝鮮でのアジアでの行いを反省するどころか、なかったことにしているようにも見える。

 

 敗戦時に日本に逃げ帰るとき、あらゆる公文書を燃やしただけでなく、兵隊や民間人の日記などにも目を光らせた。そこまで厳しくしたのは、中国での悪行を自分たちで認識していたから証拠を残したくなかったのだろう。そして、著者のように戦争体験した人たちがいなくなったとき、本当にあったことがなかったことにされそうである。

 この本は重要な証言だと思う。

 

 著者の父もキリスト者反戦者であったため、投獄されていた。

 著者が出兵するときにつぎのような言葉をいう。

父から与えられた言葉「官吏(註・当時は国家公務員をこう呼んだ)の中には、外交官という職があるだろう。私は詳細を知らないが、国際紛争を最小限に、ましての事戦争については、限りなくゼロに近づけるべく努めるのが、外交官だと私なりに解釈している。

 そして、父は兵隊でもかの地へ行って何かできることがあるのではと話す。

 きびしい。父は日本軍の過酷さを本当には知らなかったのだろう。ただ、見たことを歌にかきとめることしか息子はできなかったけれど、この父の影響が大きい。

 

 また、外交官の役目は「戦争については、限りなくゼロに近づけるべく努めるのが、外交官」というように、外交官がそういう仕事をしてほしい。国連を脱退してくるのではなく最後まで話し合う、手練手管と根気を持ってほしいと願うばかりだ。

 

 この本におさめられた歌は、学徒出陣から敗戦と帰国後も含めて計924首。歌の良し悪しはわからないけれど、貴重なドキュメンタリーになっている。