胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

そうなんだろうか

 昨日の朝日新聞天声人語は、全国老人福祉施設協議会の第6回「60歳からの主張」川柳部門の入賞作を紹介していた。
 そこに気になる一文があった。

「<掛けてきた年金実は賭けていた>。社会へのまなざしは鋭い。<日本発武士道にない派遣切り>。福祉政策は、老より幼に重きを置くかにみえる。そこで、<敗戦国興して老後報われず>」

 この「福祉政策は、老より幼に重きを置くかにみえる」にひっかかってしまった。そうだろうか。私には老に重きを置いているように見える。高齢者の通所施設は立派なのに、子どもの児童クラブはここら辺ではプレハブの掘っ立て小屋である。高齢者の施設は個室も増えているのに、子どもは一部屋に8人も押し込められていたりする。

 しかし、高齢者の方が恵まれているとは言わない。まだまだ足りない部分が多い。子どもの方が重視されている、高齢者が税金を使っている、障害者のほうがサービスがいい、という話をしても仕方がないように思うのだ。私たちは分断されて生きているわけではなくつながって生きている、幼から子どもへ、若者へ、中年になって老いる。その途中で障害者になるかもしれないし、高齢者になれば必ず障害者の仲間入りをする。誰がいいという話ではなく、皆が人間の尊厳をもって生きていけるようにどうすればいいか、考えていかなくちゃ、と福祉関係の人なら思うだろう。
 それでも、マスコミはときどき世代を分断させ敵対させるようなものの言い方をする。どうしてなのだろうか。どういう意思が働いているのか。何も考えないで、ただ煽りたいだけなのか。なんとなく習慣で何かを比べて書きたくなってしまうのか、よくわからない。

 そうして、少子化を大変だと叫び、子どもを生んで欲しい目的は、国を支える人材が欲しいためなのだと思うので、未来を支える子どもたちに投資するのは、親だけではなく国の役目でもあると思う。