胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

織田朝日『となりの難民』

 

となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS

となりの難民――日本が認めない99%の人たちのSOS

  • 作者:織田 朝日
  • 発売日: 2019/11/01
  • メディア: 単行本
 

 『となりの難民 日本が認めない99%の人たち』 織田朝日 2019年 (旬報者)

 

 入管の収容について疑問におもって読んでみた。

 わたしがニュースなどで入管を知ったのも織田さんたちの活動の影響だ。

 読んでみると、入管の収容は怖い。

 いつ呼び出しがあるかわからない。

 収容期限もわからない。通信の自由もない(スマホは没収。公衆電話で電話できるが、家族から電話できない)。

 施設内容もひどい。懲罰房という隔離部屋がある。刑務所か精神科病院ではないか。なかで精神的病気になったり、医療放置されたりしている。

 なにかに似ている。

 ドイツ人がユダヤ人に対して行った態度ではないか。

 3月に『戦場のピアニスト』を再び見た。いつ自分たちが標的にされるかおびえるユダヤ人。普通の生活を奪われてゲットーに押し込められる。ほかにも数々の映画で描かれるユダヤ人の姿が浮かぶ。

 冷酷に外国人に暴力をふるう、ひどい言葉を吐く職員とはどういう人たちだろう。

 たぶん、家庭ではいい親だったり、ふつうに生活している人たちだろう。外では差別主義者の顔をしていないかもしれない。

 これはハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」や「ミラグラム実験」の服従の心理を思い出させる。入管の職員、そのほか警察で市民に冷たい目を向ける人たち。その人たちは、権威者の意向を体現しているのだ。自分の気持ちはない。ある人もいるだろうけど、そういう人はまれで、権威をかさに着てしまう人が多いのではないだろうか。

 

 マスクがなくなり始めたとき、知り合いの素朴ないいおじさんが「中国人が買い占めているからだ」と言った。

 わたしが一度だけマスクを買うためにドラッグストアに並んだとき、そのおじさんと会った。毎日、並んでいると言う。並んでいるのは、私より年上の高齢者ばかり。朝の6時半に並んだのだが、前には20人以上いた。まわりの人は知り合いなのかしゃべっている。「毎日並んでいる」「昨日は5枚入りしか買えなかった」「子どもや孫に送ってあげる」と話していました。

 もし、中国人の方がマスクを送ったとしたら、最初は中国がいちばん大変だったので、家族のために送ったのでしょう。わたしたちと同じ心情だと思う。

「中国人が転売している」という大げさな話にはなりやすい。転売の人たちは日本人が多いのではないでしょうか。どこかの議員さんも転売していましたね。

 こんな田舎でも、ときどき外国人の方に対する差別的な発言を聞きます。わたしは言い返さないといけないのに、固まってしまいます。

 関東大震災で多くの朝鮮人、そして中国人や日本人も虐殺されました。殺したのは一般の人たちが多くいます。民衆の心理を操作した権威者がいるとしても、わたしたちは簡単に操作されて、残忍なことをしてしまうのです。

 隣のいい人たちが、そういう残忍さを表すのはみたくない。

 わたしは差別的発言に反論できるようになりたい。

 培って育った差別主義に立ち向かうには権威のかけらもないわたしが言っても無駄かもしれないが、やはり声をあげないといけないと思うような、いつか来た道が見えはじめたこの頃だ。

 

 そして、子どもたちのいじめがひどい。外国人に対するだけでなく異質なもの気に入らないものをいじめる。自分さえよければそれでいい。大人の世界を子どもが体現している。本当に悲しくて悔しいことだ。でも、そんな子ばかりじゃない。一人ひとりは美しいものをまだ持っている。そういうものを育てられる教育であってほしい。