胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

今年の運勢

 3が日は人が多すぎてお隣の神社にはお参りしなかったが、屋台も賑わい人出が多いのはうれしい。4日から仕事始め。帰りにお隣にお参りに行く。八幡宮は、戦の神様だからお参りしないという友人もいるが、私は何でもお参りしてしまう。ただ、この神社も山の家の神社ももともとは寺社だった。寺社が建った場所は意味あり、その土地の気が集まったところと思う。つまりパワースポットという感じか。だから拝むのも八幡大明神ではなく、この土地の八百万の神様たちにである。「今年もお守りください」と。

 神社には、運勢が看板に書かれている。私は三碧木星。去年の運気は底だったようだが、だんだん上がってくるようだ。同年代の人はみんな同じ運勢となるが、これはこの年代が気をつけなくてはいけないということだと思って、ありがたく読んでいる。

○運気は春を待たず徐々に回復する整備運。頭の切れ味も実務能力も健在ですが、何事も勢いを求めず節度ある態度で臨むこと。自分の力だけで勝負すると物事が滞りがちな今年、いかに援助を受けるかが課題です。とくに親切や協力が感謝されず、不愉快な時もありますが、見返りを求めない行為が高く評価されます。年長者や有識者と会う時は言動だけでなく服装にも気配りを。また、人の温かさに触れて家族との関係が好転する兆し。不調だった問題ほど今後の見通しが明るくなります。
○胃腸障害やアレルギーに注意。

「自分の力だけで勝負すると物事が滞りがちな今年、いかに援助を受けるかが課題です」。そうです。仕事はひとりでできません。みなさんの協力のもとにできます。でもね。すぐに機嫌の悪さを顔に出すのはやめてほしいなぁと思うこの頃です。
「とくに親切や協力が感謝されず、不愉快な時もありますが、見返りを求めない行為が高く評価されます」そうなんですか。そうなんですよね。ごみアパートを掃除し、やっと引越しできそうなのに、大家さんに文句言われ、行政からはえらそうに言われ、事務からは滞納があるどうするんだと・・・。私のせいですか。私最近たまたま関わっただけで、皆さん長い付き合いをしてきたのに、いろいろなことに目をつぶってほったらかしにしてきたんじゃないの。ちゃんとできないの当たり前じゃない。病気と障害があるんだから。すべて私に押し付けるんじゃないよ!と心でつぶやきながら、喧嘩しても仕方ないので黙々とやることやります。前に進むために。責任回避したい気持ちはよくわかります。私も面倒なことに関わりたくない。でも、「私が支援するからよろしくお願いします」と頭を下げる。もちろん本人は何の感謝もしません。もっと支援して欲しいと言うのをにこやかに「自分でできることはやんなさい」と言う。報われるなんて思っちゃいけません。
 患者さんのことで毎日悩んで悩んで頭下げてまわり退院して地域に暮らしてして順調だと私の出番はありません。なんか少し淋しいです。訪問看護やヘルパーさんや施設の人が密に関わりますが、私はもうゆっくり話すこともなくなります。そういう意味で常に地域に出ていける支援者がうらやましい。私のところに顔をみせてくれるのは、「お金を使いすぎてなくなった」「倒れた」とか何かあったときだけです。そういうものですね。やって当たり前のことで感謝はされませんが、失敗すると非難されます。人の人生を左右する問題ばかりです。この決断でいいのか、もっといい方法がないのか、みんなで考えないともたないとつくづく思いました。みなさま、今年も協力してやっていきましょう。