胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

さようなら、又一(またいち)

 気がついたら4月ではありませんか。もうすぐ誕生日です。また歳をとります。3月は仕事忙しかったです。こんなに仕事人間になってはいけないと反省していますが、山の家にも行けないままです。
 3月に犬の又一が死にました。最後は玄関でオムツをして横たわっていました。15歳くらいでした。村の雑貨屋さんの息子さんが飼えなくなった犬をもらいました。そのころ次男を妊娠していて、犬は縁起がいいということを信じました。高台の山の家で道を通る人、家に登ってくる人をガンガン吠えました。見かけは黒くて少し怖い犬ですが、気のいい犬です。吠えていたのは、私たちに「誰か来たよ、誰か来たよ」と教えてくれたのです。本当は怖がりで、知らない人には尻込みをします。
 一度下痢が続いて、遠くの獣医さんに連れて行き、検査やら注射をされてから、車に乗ることをとても嫌がって拒否していました。それが、盛岡に引っ越して、山の家の往復で車に乗るのに慣れ、ドライブが大好きになりました。
 盛岡で3回目の引越しで現在の家に住んだ時には、もう耳も遠いおじいさんになっていました。家の前の駐車場につないでいました。その前の路地は近道で利用するため、人通りが多いのですが、もう吠えることはありません。優しげな目で吠えない、おとなしい犬ということで人気犬になりました。又一の前で人が立ち止まって行きます。又一と世間話をしていく人が多いです。何人か集まって又一の前で話し込む人たち。又一は優しい目で見上げています。子どもたちが「わんわん」と駆け寄って来ます。隣のおばあちゃんは、又一のために敷物をくれました。息子は、若い女性がわざわざ自転車をおりて、又一に挨拶していたのを見たそうです。
 この1年私はぜんぜん又一の相手をしていませんでした。夫がいないときだけ散歩するくらいでした。たぶん、死んだとき、家族の頭の中には、又一の元気な姿が駆け巡ったと思います。私は散歩中においを嗅ぐのに忙しい又一に「又一」と声をかけます。又一は、「わかっているよ」というように尻尾をグルグル振りまわしながらにおいを嗅いでいます。何度も何度も「又一」と呼んで尻尾を振り回させていました。山の中に入ると熊が怖いから、大きな声で又一に話しかけていました。そんなことが目に浮かびます。
  又一の小屋も片付けました。花と首輪を飾りました。子どもが「わんわんどこへ行ったの?」とお母さんに聞く声がします。花の前にお菓子とお手紙が置いてありました。小学生の子からで「天国で元気で」と書かれていました。我が家で、一番近所付き合いをしていたのは、又一だねと家族で話しています。
 又一、又一、さようなら。お母さんはもう少しこの世で足掻いています。