胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

他者の苦痛へのまなざし

他者の苦痛へのまなざし

他者の苦痛へのまなざし

 仕事用の本を読むつもりで、机に積み上げたのに、スーザン・ソンタグの本を読み始めている。写真論であり、私たち世界のどうしようもない袋小路にずいぶん前からはまっていることに自覚もなきまま、自分だけは違うと思う傲慢な姿を見せつけられる本である。でも、この本のことも忘れ、日々の糧を得るため、わが生活の維持を考えて生きていくのだろう。

 フェイスブックをやめたのは、私が一つのメモとして載せた写真もイメージを作り上げていくのに役立っているから。そのつもりがないともいえない。やはり意図的に写真を選んでいる。その写真は事実だとしても全部ではないし。友達でもない人と友達になっている。実際に会えば、話すことなど何もないのに。いいねをくれたり、したりする。礼儀として。それはやはり、嘘っぽいのかもしれない。写真の私のイメージしか伝えていない詐欺かもしれない。
 ブログも似たようなものかもしれないけど、見ている人は少ないみたいだし、友達がいるかどうかもわからないし、実際に自分の覚書として写真も入れられるから便利だから使っている。年相応に健忘症も進んでいるので、読んだ本、自分が観た映画も忘れてしまう。ブログを見ると、前に読んでそんなこと考えたんだという記憶の糸口が見つかる。本当に自分は忘れっぽい。

 スーザン・ソンタグの本、読んでは閉じてしまうのでなかなか先に進まない。
 でも、ひとつの知らなかったこと、水俣の写真を撮り続けたユージン・スミスが千葉のチッソ工場を訪れた際に暴力団に暴行にあって、大けがをしたこと。片目が失明したとかいう大きなけがであり、有名なユージン・スミスだけでなく一緒にいた水俣の人たちも暴行を受けた。
 ユージン・スミスの有名な母子の写真は私は何度も見ている。
 でも、石牟礼道子の『苦海浄土』を読むまでは、水俣のことを考えることもなかった。
 ユージン・スミスが暴行されたことも一般に知られたことなのかもしれないけれど、それがどういう決着になったのか、わからない。暴力団というけれど、チッソに雇われたの? それでは暴力団というものもやはり悲しすぎる存在である。そんな事件があったと、スーザン・ソンタグの本で知り、怒りより悲しい。

 ユージン・スミス氏は亡くなっているが、妻のアイリーン・美緒子・スミスさんがジャーナリストとして活躍している。
 彼女が毎日新聞の取材で「水俣と福島に共通する10の手口」という話をした。記事を下に載せておきます。忘れないために。

 

特集ワイド:かつて水俣を、今福島を追う アイリーン・美緒子・スミスさんに聞く(毎日新聞)

「『10の手口』は経産省前のテントの中で考えたものです」と語る
アイリーン・美緒子・スミスさん=小国綾子撮影


<共通する「責任逃れ」「曖昧な情報流し」 繰り返してほしくない「被害者の対立」>

 「福島第1原発事故は水俣病と似ている」と語るのは、写真家ユージン・スミスさん(78年死去)と共に水俣病を世界に知らしめたアイリーン・美緒子・スミスさん(61)だ。今回の原発事故と「日本の公害の原点」との共通点とは何なのか。京都を拠点に約30年間、脱原発を訴えてきたアイリーンさんに聞いた。【小国綾子】

 「不公平だと思うんです」。原発事故と水俣病との共通点について、アイリーンさんが最初に口にしたのは、国の無策ではなく「不公平」の3文字だった。

 「水俣病は、日本を代表する化学企業・チッソが、石油化学への転換に乗り遅れ、水俣を使い捨てにすることで金もうけした公害でした。被害を水俣に押しつける一方、本社は潤った。福島もそう。東京に原発を造れば送電時のロスもないのに、原発は福島に造り、電力は東京が享受する。得する人と損する人がいる、不公平な構造は同じです」

 都市のため地方に犠牲を強いている、というわけだ。
 「『被害×人口』で考えれば被害量のトータルが大きいのは大都市で、少ないのは過疎地域かもしれない。でもこれ、一人一人の命の価値を否定していませんか。個人にとっては、被害を受けた事実だけで100%なのに……」
   
 アイリーンさんの原体験は「外車の中から見た光景」。日本で貿易の仕事をしていた米国人の父と日本人の母との間に育ち、60年安保反対のデモを見たのも、香港やベトナムの街で貧しい子どもたちが食べ物を求めて車の上に飛び乗ってくるのを見たのも、父親の外車の中からだった。こみ上げる罪悪感。「車の外に出たい」と強く感じた。

 両親の離婚後、11歳で祖父母のいる米国へ。日本では「あいのこ」と後ろ指をさされたのに、セントルイスの田舎では「日本人」と見下された。「日本を、アジアを見下す相手は私が許さない」。日本への思慕が募った。満月を見上げ「荒城の月」を口ずさんだ。

 アイリーンさんの「不公平」を嫌う根っこは、加害者と被害者、虐げる者と虐げられる者の両方の立場に揺れた、そんな子ども時代にあった。

 20歳の時、世界的に有名だった写真家ユージン・スミスさん(当時52歳)と出会う。結婚後2人で水俣に移住し、写真を撮った。日本語のできない夫の通訳役でもあった。患者と裁判に出かけ、一緒に寝泊まりもした。ユージンさんの死後は米スリーマイル島原発事故(79年)の現地取材をきっかけに、一貫して脱原発を訴えてきた。
   
 大震災後、環境市民団体代表として何度も福島を訪れ、経済産業省前で脱原発を訴えるテント村にも泊まり込んだ。テーブルにA4サイズの紙2枚を並べ、アイリーンさんは切り出した。「水俣病と今回の福島の原発事故の共通点を書いてみました」。題名に<国・県・御用学者・企業の10の手口>=別表=とある。

 「原発事故が誰の責任だったのかも明確にしない。避難指示の基準とする『年間20ミリシーベルト』だって誰が決めたかすらはっきりさせない。『それは文部科学省』『いや、原子力安全委だ』と縦割り行政の仕組みを利用し、責任逃れを繰り返す。被ばく量には『しきい値(安全値)』がないとされているのに『年間100ミリシーベルトでも大丈夫』などと曖昧な情報を意図的に流し、被害者を混乱させる。どれも水俣病で嫌というほど見てきた、国や御用学者らのやり口です」

 福島県が行っている県民健康管理調査についても、「被ばく線量は大したことないという結論先にありきで、被害者に対する補償をできるだけ絞り込むための布石としか思えません」と批判する。

 アイリーンさんが最も胸を痛めているのは、被害者の間に亀裂が広がりつつあることだ。「事故直後、家族を避難させるため、一時的に職場を休んだ福島県の学校の先生は、同僚から『ひきょう者』『逃げるのか』と非難され、机を蹴られたそうです。みんな不安なんです。だから『一緒に頑張ろう』と思うあまり、福島を離れる相手が許せなくなる」

 福島の人々の姿に、水俣で見た光景が重なる。和解か裁判闘争か。「水俣の被害者もいくつもに分断され、傷つけ合わざるをえない状況に追い込まれました。傷は50年たった今も癒えていません」

 だから福島の人たちに伝えたい。「逃げるのか逃げないのか。逃げられるのか逃げられないのか。街に、職場に、家族の中にすら、対立が生まれています。でも、考えて。そもそも被害者を分断したのは国と東電なのです。被害者の対立で得をするのは誰?」

 昨年3月11日、アイリーンさんは娘と2人、久しぶりの休養のため、アメリカにいた。福島の原発事故の映像をテレビで見た瞬間、胸に去来したのはこんな思いだ。「今からまた、何十年もの苦しみが始まる……」。水俣病がそうだったように。

 水俣病の公式確認は1956年。77年の患者認定基準を、最高裁は2004年、「狭すぎる」と事実上否定した。09年成立の水俣病特措法に基づく救済措置申請を7月末で締め切ることに対し、患者団体は今も「被害者切り捨てだ」と批判している。半世紀たってもなお、水俣病は終わっていない。

 「今、水俣の裁判闘争の先頭に立つのは50代の方々です。まだ幼い頃に水銀に汚染された魚を食べた世代です。だから、福島に行くたびに思う。小さな子どもたちに将来、『あなたたち大人は何をしていたの?』と問われた時、謝ることしかできない現実を招きたくないんです」
   
3時間にわたるインタビューの最後、腰を上げかけた記者を押しとどめ、アイリーンさんは「これだけは分かってほしい」と言葉を継いだ。

 「水俣と福島にかかわっていて私自身、被害者と同じ世界にいると錯覚しそうになるけれど、でも違う。被害者の苦しみは、その立場に立たない限り分からない。分かっていないことを自覚しながら、被害者と向かい合い、発言するのは怖いです」

 しばらく黙考した後、「それでも声を上げようと思います。福島に暮らす人、福島から逃げた人の両方が、水俣病との共通点を知り、互いに対立させられてしまった構図をあらためて見つめることで、少しでも癒やされたり救われたりしてほしいから」。かつて水俣を、今は福島も見つめる両目が強い光を放っていた。

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 水俣と福島に共通する10の手口

 1、誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
 2、被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
 3、被害者同士を対立させる
 4、データを取らない/証拠を残さない
 5、ひたすら時間稼ぎをする
 6、被害を過小評価するような調査をする
 7、被害者を疲弊させ、あきらめさせる
 8、認定制度を作り、被害者数を絞り込む
 9、海外に情報を発信しない
10、御用学者を呼び、国際会議を開く

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毎日新聞 2012年2月27日 東京夕刊

 最近の日本は知性が無くなったと言われるけれど、無くなったのは品や奥ゆかしさではないかな。お金がなくても心意気だったはずなのに。